2010年1月25日 (月)

花束

スマパンの『1979』は、生まれた年ということもあって、耳慣れた曲。

サビではなく、入りだしが猛烈に好き。

帰り道、桔梗色の空を見ながら歩いていたら突然流れてきた。

 

本日(日付は変わってしまうかもしれないが)2回目の更新。

私のことを、弱い人だときちんと言ってくれたのは、私が覚えている限り2人だけだ。いつだったっけ?かっこつけたがりの私は、直接言われるとびっくりしてしまう。

弱さに気づかれてぎくりとして、ほっとする。

楽しいときは、誰とでもいられる。

ただ、辛いときは、誰かとしかいられない。

だれだってそうでしょう。

みんな弱さを持っていて、それを花束のように大切に抱えて歩いている。

見ようとすれば、もっと早くに見えたのに。

花束は大きくて、エレベーターなんかに入ればその花でみんな埋もれてしまうかもしれない。花の匂いでくらくらしてしまう。

それでもいい。

ただ一人で抱えこんでいてはいけない。

その花束が見えたとき、

ああ、この人もって思えるから。

滅多に見せてくれないし、

滅多に見せられないけれど。

ああ、この人もって思える。

くらくらしながら、みんな歩いているんだって。

| | コメント (0)

2008年2月17日 (日)

頂点。

ついこの間キッチンから見た朝焼けがきれいすぎたので

とりあえず文章に残しておこうと思います。

 

といっても写真を撮るような余裕もなく

眠たさにぼーっとする頭に前触れもなく目に入ってしまったので

ここで載せられる画像は何もないのですが。

朝焼けも夕焼けも毎日繰り返されるものなのに

滅多に見れていない気がするのは、なぜでしょう。

それだけ日々の生活で気にもとめてないからですかね。

気にもとめていないことが結構重要で素晴らしいものだったりする。

そんな物事が多すぎる毎日です。

 

朝焼けにしろ夕焼けにしろ

本当に美しくて、輝いて、まぶしいのはほんの一瞬ですよね。

だけど個人的には

夕焼けのあとに広がる、オレンジから紫に徐々に変わっていく

夜の始まりみたいな空の色が好きです。

 

どんなことも

頂点の美しさは一瞬だろうけど

その前後に流れる時間だって

それなりの美しさがあったりする。

健康しかり、恋愛しかり、仕事しかり、きっと同じ。

頂点が美しくて、短いものだと分かってるから

それを目指して向かっていたいとも思うけれど

頂点を過ぎたからって、終わりじゃないとも思う。

その余韻を楽しんで次に進めればいいと思う。

そう考えれば、どんな時だって、今のこの状態が頂点だって思える気がするし。

一般的に、客観的に見た美しさの頂点は同じでも

個人の思う頂点はそれぞれだろうから。

初めて歩いた瞬間、片思いが切ない瞬間、最終面接に受かった瞬間。

成人した瞬間、夜を過ごした瞬間、昇進した瞬間。

別れの瞬間、再会の瞬間。

いろんな場面での頂点。

それぞれにきっと美しい。

   

なんだかきれいな朝焼けを見たらそんなことをふと思ったので

とりあえず文章に残してみました。

思いつくままに文章を書くのは結構気持ちいい。

たいして読み返さないまま、更新逃げします、えいっ。

| | コメント (8)

2008年2月11日 (月)

教えて。

この3,4日は、ずっっと雪が降り続けてました。

スキー場みたいになってます。

ま、でも山が全くない平らな土地なので滑れないけれど。

 

去年から3年日記を書き始めました。

毎日2,3行書く程度の短い日記帳。

9日に、ふと上の段に書いてある去年の2月9日の日記を読んだら、

ちょうど、前の職場を退社した日でした。

月日の経つ早さを改めて実感。

自分の意思で退社を決意したのに、退社日が近づくにつれて、

会社という組織から離れる怖さを感じたのを思い出しました。

組織の中で働くということに、ストレスや不満や疑問を感じていたはずなのに、

いざ離れるとなると、その組織の中で築いた人間関係や、自分なりのやりがいや、会社の中での自分の位置みたいなものを失うのが、寂しくて怖かった。

 

この間、友人と話しているときに、「今のカオリや私の立場を、自由でうらやましいって思う人もいるかもね」、と言われました。

自由ってなんでしょうね。

私は、世に言う「自由人」なのかしらん。

組織から離れて、なるべく自分の生きたいように進んでいくのは、自由人なのかな。

その分、組織から離れる不自由も知ってしまったけど。

なんだかんだ言って、組織や団体の不可欠さも知っているけど。

悠々自適に自分勝手に気の向くままに生きてる人。

会社や組織を頼っていない人。

お金に困らず、好きなものを好きなだけ手に入れてる人。

家族も持たず、物も持たず、仕事もお金も持たず、街角で小銭を乞う人。

周りに溢れまくっている金や、物や、人間関係や、そんなものから離れて生きていくことが自由なのかな。

もしそれが自由というなら、私は自由人に、大して魅力を感じない。

 

自由な人っていうのは、きっと何が自由なのかわかっている人で、

絶対にどこへ行っても逃れられないいろんなしがらみやら、なんらかの限られた場所の中で

自分の思う自由を生きている人なのかもしれない。

 

・・・なんだか、また考えがぐるぐるまわって分からなくなりそうです。

「自由の定義」の分かる人、教えてください。

質問のある人は明日の朝礼までにまとめて提出するように。

自信をもって答えられる人は、その人こそ自由人です。

何が自由か分からず、束縛されることから逃げている反面、その束縛が恋しくもある、

エセ自由人の私とは違うと思うよ、きっと。

| | コメント (5)

2007年11月13日 (火)

鳴らぬなら・・・

「鳴らない電話をいつまでも待ってしまうんだよね」

待つ女は言った。

鳴らぬなら、鳴るまで待とう。

 

最近、原因不明の微かな孤独感。

誰かと一緒にいても。

ふと、一人。

笑いのさざ波の中残される。

寂しさの原因は挙げたらきりがないようで、

でも、これといった原因は見当たらない。

ただ、しばらく浮いていた体が

きゅうにすとんと落ちてしまったらしい。

冷静になって、重力があることに気づいた。

 

鳴らぬなら、忘れてしまえ。

待てない女は思う。

 

「待つ」という行為は、

受身のようで

なかなかに手強い。

覚悟ある作戦に、待てない女は勝てない。

 

鳴らぬなら、自ら鳴らしてみせようか。

と、待たない女になれる気もせず。

忘れてしまおう、ホトトギス。

| | コメント (4) | トラックバック (0)