2008年2月28日 (木)

カントリー・ロード

日本では春一番が吹いたとか?

こちらは今日もまた冷え込んでます。

今晩はマイナス20度くらいになってるらしい。

・・春よ、来い。ほんとに来い。

 

先週は、日本から前の会社の後輩が遊びに来てくれたり、

近くまで出張で来た友人がわざわざトロントへ来てくれたり。

そんな訪問が今の生活にとても新鮮で、エネルギーをたくさんもらいました。

ここ最近は日本にいたときと変わらない会社生活を送っていますから。

朝8時半~19時頃までフルタイム出勤。

海外でこの落ち着きは感謝すべきだとも思うのだけど、マンネリしがちなので。

  

元後輩とはひたすらよく話しをして、おなかが痛くなるほど笑って。

真冬のナイアガラへも行ってきました。

晴れたので思ったよりも寒くなかったけれど、やっぱり凍っていた!

何度となくナイアガラには訪れているけど、冬に見るナイアガラもまた趣がある。

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・・・なんだか、写真だとイマイチ伝わらず。白いのみ・・。

明るくてよく笑う彼女と一緒にいて、最近の寒さやなんやらで固まりかけてた気持ちがほぐれた気がする。

ありがとう。

 

長年の友人とは、おいしい食事やお酒を味わいながらゆっくりまったりと時間を過ごす。

久々に再会しても、会ってすぐに自然に話しができる。

そして、変に気を使わずにいろんなことを素直に言える。

こういう関係は貴重なものだと思う。

ギリシャ料理をたっぷり食べた後は、お気に入りの公園を散歩。

雪の積もった斜面では子供達がいっせいにソリですべってはしゃいでいる。

そんな状況を見ながらぼんやりする時間。

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・・・うーん、やっぱり写真だとイマイチ。そして白い。

空気が透き通ってて、寒さでじんじんする指先をポケットの中であたためながら、

鼻水なんかお互いたらしながら歩く。

なんだか癒される。

来てくれてありがとう。

ここへ来てもうすぐ1年が経とうとしてるけど、日本から何人もの人たちが私に会いに来てくれた。ほんとシアワセものです。

 

なぜかここ数日あたまから離れない曲。

『カントリー・ロード』。

うちの支店長は一時期この曲を無意識にさびの部分だけひたすら口ずさんでいたらしく、

奥さんがかなり心配していたらしい・・・。そりゃそうだろう、なんか寂しい歌詞だし。

 

カントリー・ロード 

この道 ずっとゆけば

あの街に つづいてる

気がする カントリー・ロード

 

ひとりぼっち おそれずに

生きようと 夢見てた

さみしさ 押し込めて

強い自分を 守っていこ

 

カントリー・ロード

この道 ずっとゆけば

あの街に つづいてる

気がする カントリー・ロード

 

歩きつかれ たたずむと

浮かんでくる 故郷の街

丘をまく 坂の道

そんな僕を 叱ってる

 

カントリー・ロード

この道 ずっとゆけば

あの街に つづいてる

気がする カントリー・ロード

 

どんな挫けそうなときだって 

決して 涙は見せないで

心なしか 歩調が速くなっていく

思い出 消すため

 

カントリー・ロード

この道 故郷へ続いても

僕は 行かないさ

行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード

明日は いつもの僕さ

帰りたい 帰れない

さよなら カントリー・ロード

(「カントリー・ロード」 本名陽子) 

 

Country Roads take me home

To the Place I belong

West Virginia mountain momma

Take me home Country Roads

 

Country Roads take me home

To the Place I belong

West Virginia mountain momma

Take me home Country Roads

Take me home Country Roads

Take me home Country Roads

(「Take me home, country roads」 Bill Dannoff,Taffy Nivert and John Denver)

 

カントリー・ロードはそのままの意味で、きっと故郷という場所へ

連れて行ってくれる道だろうけど、

大切な人達も、少し話すだけで

私の気持ちだけでも、まっすぐとそのまま故郷へ戻らせてくれる。

この道はずっとなくしたくないと思うのです。

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2007年9月15日 (土)

親友キタル。

親友がトロントへ会いにきてくれました。

8月末~10月始めにかけては日本からの訪問者が次々と私に会いにきてくれます。

シアワセ者です。

9月6日~13日という短い間でしたが、トロントのあちこちを案内して、

私のトロントでの友人達も紹介して、ナイアガラへももちろん行って、

そしてニューヨークへも行ってきました(NYに関してはまた別の機会に写真等アップします)。

半年前に涙の別れをしてからの再会、そして一緒に過ごした1週間は本当に濃厚で充実したものだったように思います。

 

親友の母から日本のお土産を頂きました。

するめいか。

アーモンドフィッシュ。

どて焼き。

完全につまみです。確かに好きだけど、間違いなく私をおっさん扱いです。

そして、

 

「なごやん」。

 

東海地方のおかんは思いつく土産といったら「なごやん」なんでしょうか。

こないだ母からもらったなごやんを食べ終わったとおもったら、今度は親友おかんからの「なごやん」。

こんなに「なごやん」食べ続けたことなんて日本にいたときにもない。

1日1なごやんです。多少プレッシャーです。

 

というわけで、あっという間に過ぎ去った親友滞在ですが、お馴染み空港まで見送った後は、お馴染みにまた寂しくなり、とぼとぼと家まで帰りました。

その帰り道、彼女と数年前久々に再会した日を思い出していました。 

 

彼女とは小、中学校と同じ学校へ通い仲も良かったのですが、高校、大学の間は全く連絡をとらず疎遠になっていました。

そしてお互い社会人になって数年経ったある日、帰宅途中の電車で彼女が突然話しかけてきたのです。

それからの私達は数年間会わなかった時間など忘れたかのように意気投合し、しょっちゅう一緒に会うようになりました。

一緒にお気に入りの居酒屋の常連になって、

週末は朝からモーニングめぐりをして、

年末年始には、反省会とともに決起会もして、

どうでもいい話を長々とカフェで話し込み、

将来の不安や希望や悩みを何度も繰り返して、

後ろ向きになったり、前向きになったり、情緒不安定になったり、

まるで高校生の延長です。

あくまで三十路前の女性達です。

そうなんです、女同士の親友関係なんて年とともに変わることなんてないのです。

変わりたくもないとも思うのです。

仕事が変わったり、住む場所が変わったり、彼氏が変わったり、

名字が変わったり、体重が変わったり。

そんな変化とは関係なく親友との関係は不変なものだと思うのです。

 

私がトロントへ来る前に彼女から手紙を渡されました。

そこには、彼女にとっての私の存在の大きさが書かれていました。

私のことを芯があるけど柔軟で自然体な女性だと言ってくれていました。

私は彼女のそんな素直で、女性らしいところがいつもうらやましかったのです。

初対面の人を一瞬でぐっとひきつけてしまうような華のある女性です。

はたからみたら、何をお互い褒めあっているんだと思うかもしれません。

でも、私はお互いを親友だと認め合って、お互いの良さを尊敬しあって、そしてだめなとことをだめ出し合っていけるような存在がいることを結構自慢に思っています。

 

数年前、あの電車に乗っていて良かった。

偶然ではなく必然と思える再会。

きっと「縁」というのはこういうことを言うのかもしれない。

あの時、躊躇せず私に話しかけてくれてほんとうにありがとう。

先ほど、彼女から無事日本へ帰国したとのメールあり。

これからもお互いでこぼこに生きていくんだろうなぁ。

でも、一緒にワラエレバ、良しとします。

そんな親友、

万歳。 

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2007年8月30日 (木)

母キタル。

とうとう、やってきました。

母と妹達がトロントへ。

留学、一人旅を繰り返してきた長女とは打って変わって

妹2人はアジア圏にしか海外旅行をしたことがなく、

母に至っては人生初の海外旅行。

空港到着まで無事に来てくれるか心配でよく眠れず、その心配性ぶりに自分自身驚いた。

それでも空港まで車を出してくれたラビと無事にお迎え。

半年ぶりに見る3人は相変わらず元気そうで、ほっとした瞬間でした。

でも空港にたどり着くまでも、海外不慣れな3人はいろいろ大変だったらしく、

税関では何を聞かれても、ひたすら「イエス、イエス、サイト・シーイング!」と答えていたらしい。

間違いなくずれたことを言ってたに違いない。

母に至っては、出入国カードの”ミドルネーム”の欄を見て

「私のミドルネームってなに?」と真剣に悩んでたらしい・・・。

 

忙しい彼女達の滞在はたった5日間だったため、かなり駆け足な旅になってしまったけれど、タフな彼女達は時差ぼけや、長距離フライトの疲れもあまり見せず、ひたすら楽しい女4人旅になりました。

私の友人も交えてパブで飲んだり、

トロントアイランドでのんびりしたり、

ピタパンでゲイのお客さん達に囲まれながらもラビに豪華な夕食を出してもらったり、

チャイナタウンで買い物したり、

ナイアガラでは滝の一望できるホテルに滞在したり、

ワイナリーめぐりをして朝からほろ酔いになったり。

 

母は、この外国へ来ても、最後まで全て日本語で通していた。

ラビには普通に「いつも娘がお世話になってます」って言うし、

席を譲ってもらった男性にも「あ、すみません(お辞儀)」。

「なごやん」(名古屋名物饅頭)を買ってきて、お世話になってる人たちに配りなさいと言う。

世話になってる人には甘いものを配る、という日本のおばさん的習慣をここでも適用しようとする。

でもそういう日本人の礼儀正しさを、海外でも忘れたくはないな、とも思うのです。

 

おいしいものを食べて、飲んで、酔っ払って、美しいものを見て、感動して、癒されて、笑って、また笑って。

家族の良さを切なくなるほど実感した時間でした。

全く気を使わず自然体でいられて、

つまらないことでも笑いあえる。

お互いを完全に信頼しあっていられる。

何がないと生きていけないって、彼女達がいないと生きていけない。

とりわけ母の存在なしでは生きていけない。

ただ居てくれることで、どれだけ安心することか。

三十路間近になっても、全く落ち着いていない親不孝な私の生活を

母はきっといつも日本から心配していることだろう。

でもこの旅行が母にとって素敵な思い出になってくれれば本当にうれしい。

 

そして、3人が帰国してしまった後に一人で食べる食事がどれだけ寂しいか改めて実感。

さらに、この女子4人旅行中に自宅で一人留守番をしながら、植物の世話をしていた父の寂しさも実感。

いや、彼のことだからめったにない静かな一人生活を楽しんでいたに違いない(と、思いたい・・)。私の気ままさは間違いなく彼の遺伝子から来ているはずだから。

 

・・・とりあえず、

そんな家族、

万歳。

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