2011年9月18日 (日)

ほろ酔いの独り言。

土曜夜。まだじめじめと暑い。

会社休憩中に買い込んだワインとクラコットとチーズでまったり。

順調に消費していっております。

といっても、このごろはグラス2,3杯でほろ酔い十分。ボトル1本空けてたなんて遠い昔のことのよう。経済的でいいのだけれど。

今夜は仕事のなんだかんだで精神的にぐったり。

人事という職についてもうすぐ2年が経つ。

新卒で働き始めたばかりのころは、いつか自分だって余裕綽々で仕事をこなし、やりがいも見つけて、周りから頼られて、それでいてプライベートも充実させてるような女性になっていられるのだと思っていた。

実際はそんなに甘くはなく(あるいは私の努力がきっと足りない)、転職先では中途採用なりの即戦力を求められるし、同時に新しい仕事、人、場所への適応能力も必要とされる。余裕綽々なんて・・・感じたことなど一度もない。

石橋をたたいて渡るほどの時間もなく、とりあえず渡る(もしくは渡らされている)、そして後ろから崩れてかけてきている橋に気づいて急いで渡りきりほっと一息。ほぼそんな毎日。

あ、私勢いに乗ってきたかもと思ったその途端、厳しい現実と自分の力のなさに直面するような。やりがいを感じたその途端、投げ出したくなったり。

今日も現場スタッフとのやりとり。とどめのひと言。

「現場で働いていないから分からないと思いますよ、私の言ってること。」

そりゃそうだろうと思う。正直、分かるかって言われれば分かっていないんだろう。分かろうとしているつもりでも分かっていないと伝わっているんだろう。

私は(少なくとも今の職場では)、現場では一切働いていない。雇われてそのまま人事という運営側にいる。

それでも、例えば、

現場で働いてないから、

男じゃないから、

結婚していないから、

子供がいないから、

日本人じゃないから、

兄弟がいないから、

私の言ってることわからないでしょう。といわれても困る。

分からないでしょう、と言われれば、それまで。終了。

とても難しいことだけれど、私にもなかなかできないことだけれど、

ただシンプルに、「相手の立場にたって考える」ということ。

それができなければ、仕事に限らずどんなことだってきっとずっと平行線のままなんじゃないかな。

私ももっと、頭の回転が速くて、論理的な話ができて、交渉力もあって、冷静で、それでいて相手を引き込むような情熱と愛嬌もある。そんな人であれたらと思う。

ただなかなかそんな人にはなれず、相手の話も素直に聞けず途中で心が折れたり、きつい言い方をしてしまったり。

本当に伝え方は難しい。

人事という仕事をして1番難しいと思っていること。

言葉は強く、そして怖い。ともすれば何も話せなくなってしまうほど。

逆を言えば、それは全てをちゃらにしてしまうほどポジティブな働きをすることもあるのだけれど。そしてそれに救われたこともしばしば。

ただただ単純に、一生懸命仕事をしたいと思う。

雑になったら終わりだと。雑になっては決していけない。

これが私の天職だ!などと思える人はこの世界に何人いるのだろう。

多くの人がたくさんの不満やストレスややり切れなさを抱えながらも働いている。

だって生活していかなければいけないから。

今の人事という職が天職とは思っていないし、これから先も続けていくかは分からない。

ただ、生きていく手段である今のこの仕事を、まずは一生懸命したいと思う。

それは、仕事に対することだけじゃなくって、どんなことに対しても。

熱意を持っていたい。

だから、今日言われたような言葉はきつい。とてもきついと思う。

なので、弱い私はワインでごまかしつつ忘れようとしているのだけれど。

 

相方はタイで行なわれるという友人の結婚式に参加する為、数日間留守にしている。

おかげで私は以前のように一人ワインでだらける夜を過ごしてしまっている。

相方からは能天気に、象に乗ったやら、二日酔いやら、ディナークルーズやら、そんな内容のメールが入ってくる。多少いらっとしている。

ただ、そんな彼のほうが本当はきつい仕事をしていて、私なんかよりももっと強いプレッシャーの中長時間働いている。

私に何ができるのかと不安になることもしばしば。

みんな人にはなかなか言えないしんどさのなかで働いているんだなー。

だから私は一生懸命な人が不意にもらす愚痴が大好き。

あ、この人もって思える。

頑張っているこの人だって、

やりきれない気持ちを持ってるんだ、そう思える。

仕事に限らずどんなことも、

雑になってはいけない、と思える。

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2011年6月26日 (日)

ことだま。

日曜だというのに、むわっとする暑さで早起きをしてしまったけれど、

窓を開ければ意外に爽やかな風が入り込んできたから、ソファーでのんびりしながら得をした気分になっている。

『ゴールデンスランバー』を読み終えた。物語の背景はハリウッド映画のように壮大だけれど、主人公のあまりの平凡さと必死さに惹きこまれて、小説の終盤にもなると読み終えるのがもったいなく、何度も前のページに戻ってはもったいぶりながら読んだ。

どんなに無様でも不細工でもいいから、逃げて、そして生きていく。

その主人公の逃げっぷりと、生きようとする懸命さが強烈に伝わってくる話だった。

いつだって、新しい本を手にとって、最初のページを捲る瞬間がたまらない。

活字をおうことと、映像を見ることの決定的な違いは、活字が読み手それぞれの想像力によってどこまでも自由にその背景を広げられることじゃないかと思う。

活字をおいながら同時に頭の中でいろんな描写をしている。だからときどき映画化やドラマ化された物語を観て、あれ?と思うこともしばしば出てきてしまう。仕方のないことかもしれない。

机の上には次に読む本が控えていて、その新しいブックカバーを見るとドキドキしてしまう。

『ゴールデンスランバー』を読んだ感想でもあるけれど、最近、本当に言霊ってあるんだろうなぁと感じることが何度かあった。

前向きな言葉を発すると結局はそのようになっていくもので、その逆もしかり。

私はこうなっていたい、こうしたい、っていうことを周りの人達に声に出して言うことで、自分にも言い聞かせられるし、そして周りもそのような状況に自分を持っていってくれるように思う。

実際、前向きな言葉を発しながら努力している人達が周りにいるからかもしれない。そんな人達に対しては素直に応援したいと思うし、やり遂げたときは心からよかったね、ということができる。

ああしたい、こうなっていたいと人に言うのは結構勇気がいるもので、誰かに伝えることでもうそれは当然自分の中にとどめておくことも、諦めて、これは最初からなかったものだったんだなどと思い込むこともできなくなる。後戻りができなくなる。

だからこそそれが力にもなったりするんだろうけど。

32歳の誕生日も近く、まぁ改めて、なっていたい自分、そんなものを考えたりして。

文章を書くとき、何度も書き直したり、言葉を足したり、伝え方をかえたり、そんなことを繰り返しながら自分の気持ちが整理されてくるように思う。

その一方で、理屈をこねすぎたり、いいかっこしてみたりもできたり。

私は苦手とする言葉の伝え方を、32歳も目前としたいい大人になって、上手になりたいなぁと思い始めた。上手な伝え方というとなんか語弊があるかもしれないけど、素直に言葉に出すことを恐れずにいたいと思うようになった。

自分には正直に。

やりたいこと、正しいと思うこと、そんなことを口に出して、そして動ける大人でいたい。

自分の言葉をかみ締める感じ、もぐもぐと。

 

『さよならCOLOR』

そこから旅立つことは 

とても力がいるよ

波風たてられること

きらう人 ばかりで

 

でも 君はそれでいいの?

楽がしたかっただけなの?

僕をだましてもいいけど

自分はもう だまさないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことが 見えてるなら

その思いを 僕に見せて

 

自分をつらぬくことは

とても勇気がいるよ

だれも一人ぼっちには

なりたくはないから

 

でも 君はそれでいいの?

夢の続きはどうしたの?

僕を忘れてもいいけど

自分はもう はなさないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことが 見えてるなら

その思いを 捨てないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことは 見えてるんだろ

その思いよ 消えないで

その思いを 僕に見せて

~ ハナレグミ ~

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2010年10月27日 (水)

なんだか清清しい本日。

近畿で木枯らし1号が吹いたらしい。

ちょうど1年前の今日、2年半振りに北米から帰国した。

空港から外へ出たとき、こんなに寒さを感じたかなぁ。

ロングフライトの疲れと、時差ぼけと、そして抱いていたいろんな感情。

きっと気温の変化に気づく余裕なんてなかった。

空港から家へ向かう途中、昔からよく行っていた喫茶店で温かい珈琲を飲んだ。

ぼんやりとした頭に、なんだかふわふわした体の感覚。

それでも随分ほっとしていたことを覚えている。

とても昔のようにも思えるし、もう1年も経ってしまったのだとも思える。

帰りの飛行機の中で、これから私に起こること、これから私が起こすこと、これから私が出会う人や物事、そんな諸々をぼんやり考えていた。もうその時点では帰国に迷いは全くなかったものの、不安がなかったかと言ったら嘘になる。

そして1年後。

自分の力のなさに情けなくなったり、北米での生活が恋しくなったり、予想以上に厳しい現実を再確認したり、楽しいことばかりとは言えない毎日。

でも、懐かしい人々との再会、そして新しく魅力的な人々との出会い、北米での生活が生かされているかもしれないと感じられる瞬間。そんなことも多々あった。

帰ってきてよかったと思う。

寒さにマフラーをまいた今日。

空気が澄んでいて、帰り道、月がはっきりときれいに見えた。清清しい夜道。

1年前の今頃は自分がこんな気持ちでいられるのか分からなかった。

不安や迷いや怖さや痛みは常に存在していて、何をどうしていいか分からなくなることもしばしば。

それでも必死にじたばた走ってみたら、振り返るとなんとか形になっていたりする。

やっぱり

ノーペイン、ノーゲイン

だと思う。しんどいけど、だから楽しい。

1年後の自分がどうなっているのか、楽しみ。

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2010年8月 7日 (土)

五分五分。

おかげさまで無事今年も誕生日を迎えることができました。

このブログを始めて4度目の誕生日。そして3年ぶりの日本からの更新。

なんて暑い時期に生まれたのだろうかとつくづく感じる。

 

31歳って、、大概な大人。

去年も書いたけれど、高校生くらいの頃、まさか自分にも30歳を超える日がくるなんて思っていなかった。

そして、もし迎えることになったとしても、きっとそのころには自分はもっと自信やらお金やら賢さやら家庭やらいろんなものを持っていて、この冷静で不平等な世の中にもあたふたすることなく強く生きているか、もしくは明るく平等に変わった世の中で幸せに生きているんだろうと思っていた。

チェ・ゲバラだってきっとそう思っていただろうし、ジャニス・ジョプリンだって、尾崎豊だって、そう思っていたに違いない。

世界は、今よりは絶対に自分の思うように動いているだろうって。だって自分達が大人になっていくのだからと。

30歳すぎの大人達のいうことなんていまいち信じられず、世間体を気にしすぎた意見ばかりで、それに比べたら、高校時代の私や私の友人達をそのまま大人にすれば随分世界は明るく分かりやすく、人種差別やら、貧困やら、戦争やら、そんなものももしかしたら減っているのかもなどと、漠然と信じていた。

今、口に出してこんなことを言ったら、きっと笑われるんだろう。

ロストジェネレーション特有の、先に対して大きな希望を持てないあきらめや形のない不安感が当然あったものの、同時に、でもきっと、もしかしたら、といった期待も持っていたように思う。

そして現実を見れば、

やっぱり相変わらず世の中には人種差別も、貧困も、戦争も、それ以上の目をそむけたくなることが日々溢れていて、それはなくなりそうもない。私は私でたいしたものも身に付けられておらず、弱いままだったりする。毎日溢れる選択肢の中を何とか正しいことを選びたいとびびりながら一進一退を繰り返している。

 

結局は物事なんてすべて五分五分だと大人になって思う。

嬉しいことがあったり、褒められてにやりとした直後に、

突き放されたり、責められてへこむ。

棚ぼたの話なんてやっぱりまるでなくて、ばら色の人生なんて待っていても来ない。

10代の頃信じていた大人の世界は、ただ、あの頃の延長でしかなかった。

それでも、いいこと、嫌なこと、五分五分でやってくることの不思議さ。

だからいいことがあったときには、人一倍の鋭さで、その嬉しいことを感じていたいと思う。

どうせ五分の確率でプラスマイナスが繰り返されるのであれば、

やっぱりプラスのときは、素直に、いくら世間体上大人になったとしても、喜びたい。

そのほうがきっと、幸せなんだと思う。

私のことを昔から知っている人はきっとわかるだろうけど、

根本的にたいして変わっていない。

理想主義で、でも適当で、不器用で、なのにプライドが高い。結局よく分からない。

それでもこれまで生きてきて分かったことは、

大概の人にとってプラスとマイナスは五分五分で訪れるということ(さっきも言いましたが)。

だからその人の受け取り方次第だと思う。

プラスに重きをおくか、マイナスに重きをおくか。

前者であったほうが、きっと人生は楽しい。

31歳も大好きな人達が側にいてくれることに感謝して。

高校生の私が思った、信じられないような大人になりたくないっていう気持ち、そのまま。

ただ、素直に、あくまで理想を持っていたいと思う。

ニーチェの言葉じゃないけれど、

今のこの人生を繰り返してもかまわないという生き方をしたいなぁと。

大袈裟に言えば、そんなこと。

簡単に言えば、やっぱり笑っていたい。

 

と、いうことで、明日からベトナムへ行ってきます。

てろてろな31歳大人夏を過ごしてきます。

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2009年12月31日 (木)

ワラエレバ的2009年

このブログを始めてから3度目の大晦日。初の日本からの更新です。

年越し蕎麦を食べて、紅白でも見ながら、のんびりと年越しをすることが新鮮で有り難いことのように思う。

昨年も同じように1年を振り返ったとき、その1年は、一言で表すと『動』という文字だったらしい。

自分で書いたのにすっかり忘れていて、今年の1文字も『動』かなぁなんて思っていた。基本的に変化の多い2年だったので。

でも、この2009年は『動』というより、『移』という文字がふさわしいのかもしれない。

プライベートなことでなくても、新型インフルがうつったり(漢字はあてはまらないけれど)、政権が移ったりしたし。

 

まず、単純な体の『移』動として、よく旅ができたと思う。

アメリカ国内で言えば、何度もNYに行った他、DC、念願のニューオリンズへ行くことができた。

カナダへも計4回も行ったし(これは旅ではないだろうけど・・・)、ペルーへの久々の一人旅もできた。

ボストンからカナダに立ち寄ってから日本へ帰国。愛知へ帰ったと思ったらすぐに大阪での3週間の研修。最後の最後まで移動を続けたという感じ。カナダを出て、帰国するときは、もう2度とこんな大荷物で一人で移動はしたくないと思ったほど。

 

そして仕事も新しい業界へ『移』った。

これまで計5年半関わってきた旅行業界から離れて、教育業界での人事という仕事へ。これはまだ研修もあけたばかりで、今後どうなっていくのか分からない。不安だけれど、やっていくしかない。

 

気持ちの『移』り変わりも多くあった。

別れの多い年だったように思う。

その中にはどうしようもないような永遠の別れがあったり、

体の移動にあわせて、物理的に離れることがあったり、

ただ心が離れてしまったための別れもあった。

随分傷ついたり、傷つけたりの別れがいくつか。

でもこれとは比例して、同時に別れた分だけの出会いもあった。

新しい職場であったり。

旅先であったり。

そして再会も多くあって。

私達はこれからもずっと、取捨選択をされていくだろうし、していかなければいけない。

これは残酷なようでもあるし、自然なことでもある。だから仕方ないし、だからこそ選ばれたことに、選んだことに、徹底的な責任を持たなければいけないんだろうな。

 

そして最後に、20代から30代へ『移』り変わった年だった。

仲間に囲まれて過ごした30歳の誕生日はずっと忘れることができない素敵な思い出。

もう2度とあの20代に戻ることはできないかと思うと少し寂しいけれど、それ以上にこれからの30代への楽しみがある。でこぼこな20代を過ごしたからこそできる30代の楽しみ方があってもいいんじゃないだろうか。

 

「1年の終わりにその年を振り返ってみて、嬉し涙も、悔し涙も出なかったら、それは、その1年を無駄にしたことになる。(by Ally McBeal)」

どちらの涙も今この大晦日では今更出ない。ただ、それほどの悲しさや悔しさや嬉しさは何度かあって、そのつど泣けるほど感じてこられたと思う。

だから、今年も最後は笑って終わることができます。

あいかわらずたくさんの人達にお世話になった年でした。

ありがとう。

そして、よいお年を。

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2009年12月29日 (火)

大掃除には、なぜあんなに捨てるものが出てくるのだろう。

ここ2週間外食が続いている。

毎年この時期は仕方がないと自分に言い訳をするものの、下腹部から腿にかけて主張しているポニョの存在を無視することができなくなってきている。

今日は久しぶりに1日中家にいることができたため、大掃除に集中。やっぱりワックスをかけた後の部屋は気持ちいい。運動不足のため、腿の筋肉がだるい。年明けから体力づくりしないとなぁ。

 

先週、『こころ』を読み終えた。

高校時代に1度読んだことがあったのだけれど、たまたま本棚にあるのが目に入って久しぶりに手に取ったのだ。

こんなに1冊の本をじっくり読み進めたのは久しぶりだったように思う。

読み終えて思ったのは、学生時代の私は、今の私よりも「先生」に共感できていたようだったということ。

例えば、中学時代、好きな人とすれ違うだけでうれしくて、それ以上を望むこともなければ、望むことが悪いような気さえしていた。伝わらなくてもよかったのだ。

親友に対して、共感や尊敬を感じると同時に、嫉妬や劣等感を持ってもいた。

恋愛と友情の狭間でゆれた「先生」は、結局恋愛を取ったものの、親友Kの自殺によって、自分の生涯を自分で閉じてしまうまでの間ずっと、絶望や自己不信を持ち続けて生活することになる。

「先生」は絶対に美しい人ではないのに、その人間のずるさとか曖昧さに対して圧倒的に共感をしている自分に気づくという感じ。

ただ、今回読んでいる間じゅう、ずっと感じていたことは、

これでは、「先生」も「K」も「お嬢さん」も誰も幸せになっていないということ。

「K」の告白の時、「先生」が一言、自分もお嬢さんのことを好きだとなぜ言えなかったのか。

そこにはもちろん私が高校時代に抱いた共感という部分で今も分かるところが多くあるけれど、それよりももっと単純に、「言えばよかったのに」という平凡な感情を抱いた。

それでもやっぱり文章は徹底的に美しくて透明だなぁと思った。ひとつとても響いたところがあったので残しておきます。

「私は冷やかな頭で新しいことを口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べるほうが生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にもっと強く働きかけることができるからです。」

気持ちの入り具合で、後から思い返すと平凡な言葉でも、信じられないほど揺さぶられることがある。それはきっとこのことを言うんだろう。

自分が歳を重ねるごとに、全く同じ作品でも少し違った感じ方をしたり、印象に残る部分が異なったりするからおもしろいと思う。

これまでは1度読んだ本を読み返すことはほとんどなかったし、内容を忘れてしまうこともしばしば(これには自分でうんざりする)あった。

来年は、新しい本も読みたいけれど、それよりも昔読んだ本を再度読み返してみようかと思ったりしている。

 

なんだかんだで今年もあと3日。

なぜか、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を3作とも観返してみたくて仕方がない。

久しぶりにDVDでも借りてこようかなぁ。

過去へ戻るではなく、未来へ戻るってどういう意味だろう?

おもしろいタイトル。

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2009年3月31日 (火)

アヒルと鴨の私達

先週はずっと外食が続いて、胃腸も心も軽く疲れていたので、

日曜の外出予定をキャンセルしてひとりぼんやり。

特に行くあてもないまま、すっぴんアホ面で散歩をしていたら、偶然車で通りかかった同僚に声をかけられる。

この狭いボストンで、そしてさらに狭い日本人社会。

どこで誰に見られてるとも分からない。

悪いことはできないのです。

 

そして友人からの電話。

「4月にビール・サミットがあるから行かない??」

旅行予定があるので断ったけど、

かなり気になるサミットです。

ただ単に世界中のビールというビールを飲めるという飲んだくれのイベントらしい。

酒飲みの酒飲みによる酒飲みのためのサミット。

類は友を呼ぶのです。

彼女は140㎏もある前の彼氏と眠っていて、

寝返りをした彼の肘鉄で鼻血を出し、泣いて起きたという経験の持ち主。

そんな経験なかなかできない。

なんて滅茶苦茶な目覚め。

生きているといろいろある、それがあとでネタになればそれでいいのだ、きっと。

   

同僚が、井坂幸太郎の小説をいくつか貸してくれた。

『アヒルと鴨のコインロッカー』

映画化もされているので、読んだ人も多くいると思う。

ミステリー小説の中に若者達の友情や恋愛をテンポよく描いた作品。

読んでもらえればこの小説のタイトルの意味がわかると思う。

本当の意味での国際的な人っていうのはどんな人なんだろうかと思う。

主人公の一人である椎名が友人達と話していて疑問に思う場面。

友人達は言う。

「だって外国人と付き合うのって面倒くさいじゃん。どんなに仲良くなっても分かり合えない気がするしね。」

主人公の一人であるドルジが言う。

「俺がヒマラヤの辺鄙な国の人間だって分かったら、友達にならなかっただろ?」

私を含めて、多くの日本人は、日本にいる白人に対しては多少の憧れを持って接することが多い。

でもそれが、他のアジア圏の人だったらどうだろう。

南米、アフリカの人たちだったらどうだろう。

私はこの北米に2年近く住んでいることになる。

ボストンにしても、前住んでいたトロントに関しては特に、人種の入り混ざった場所に長く住んでいる。

肌の色なんて、育った環境なんて、宗教なんて、それが差別の対象になんてならないと思っていたし、思っていたかった。

だけど、心のどこかでは勝手に人種に対する格付けみたいなものをしてしまっているのかもしれない。自分だってただ偶然に日本という先進国に生まれているだけなのに。

国籍やパスポートや面倒くさいビザなんてなくなってしまったらどうだろうと思う。

私達なんて、全てがアヒルと鴨の違いほどだ。

でもアヒルはどこまでいってもアヒルで、鴨はどこまでいっても鴨。

悲しいけれど、同じにはなれない。

ドルジが言う、

『世の中は滅茶苦茶、そうだろう?』

アヒルの私達と、鴨の彼ら。

私達をつなぐものはなんだろう。

相手を受け入れる覚悟と許容量。理解しようと、理解してもらおうとする努力と忍耐。

私にはまだ足りないもの。

日本を出てからちょうど2年。足りないものだらけの私。

いや、日本を出たから、足りないことに気づけたのかもしれない。

 

世の中は滅茶苦茶、そうでしょう?

彼の肘鉄で泣いて目覚めるなんてありえない。

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2009年3月22日 (日)

還暦と三十路。

今年父が還暦を迎える。

この間、母に何をプレゼントすべきか聞いてみたら、

父は真っ赤なマフラーを欲しがっているとのこと。

この世で一番赤のマフラーが似合わない人だと思うので、

今のところ、母も妹もそれだけはやめようという話になっているらしい。

昔は赤のちゃんちゃんこや頭巾を贈っていたのですよね。

父のその姿を想像するだけでもありえない。

 

ちなみに今年私は30歳を迎える。

ちょうど父は私の倍の年月を生きていることになる。

アルバムに残る、幼い私を無愛想に抱く父は今の私とほぼ同じ歳だったのだ。

全身白づくしに、雪駄、そしてグラサンというちんぴらな格好で、動物園では間違いなく浮いていた父は、今の私とほぼ同じ歳だったのだ。

この夏、父も私も誕生日を迎える。

あの父が還暦を迎える。

高齢化が進む中、自分の父親が還暦を迎えることぐらいたいしたことないのかもしれない。

でも、私には不思議でたまらない気もするのだ。

同時に自分も随分大人になってしまったなぁと思う。

父は30歳で父親になった。

一方の私は、独り身で不安定な海外生活。

 

今朝思いつきで近所で髪を切ったら、超適当に20分くらいで切られた。

ショートカットにしなくてよかった。

今、冷蔵庫の中身が、ヨーグルトと卵とオレンジジュースしかない。

この間、お客さんに、「お子さんはいますか?」と聞かれて、少しへこんだ。

最近ビール2杯で酔っ払い、上司におっさんみたいな態度をとっていたらしい。

結婚どころか30歳になる今でも辛い恋の終わりに泣く。

日本に帰ったら何をしようか、何をしたいのか、まだ模索中。

母親からのメールには付け足したように、

「今の仕事を一生懸命頑張りなさい。いろんなことは日本に帰ってから考えればいいよ。」

そうか、今を頑張らなきゃいけないな。

未来を考えすぎるのも、過去を振り返りすぎるのも良くない。

今を頑張ってれば、そこから先の自分にきっと自然と繋がっていく。

いくつになっても子供なので、そんな母親の言葉に無条件で甘えてしまう。

だけど少しは大人になったので、そんな母親の言葉を素直に受け入れられもする。

今年還暦を迎える父も、三十路を迎える娘も随分母親に甘えているのだ。

彼も私も、母親の存在なしでは生きていけない。

さて、彼の還暦祝い、どうしようか。

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2008年12月31日 (水)

ワラエレバ的2008年

同じタイトルで去年書いたブログから1年が経った。

雪景色の中、ほろ酔いで、友人達と腕をくみながら街を歩き回ってから1年が経った。

時間はびゅんびゅんと過ぎていく。

 

今日は仕事が半日で終わり、午後はひたすら大掃除。

綺麗に片付いた部屋でビールで乾杯。

コインランドリーでぐるぐる回るドラムを見つめながら、この1年をぼんやりと振り返ってみた。

長い1年だったなぁ。

1年間をあまり長いと感じたことはなかったのだけれど、この2008年はこれまでよりも長く感じた1年だった。

そして、この2008年を一文字で表すのなら、間違いなく、『動』だと思う。

生活する場所は、トロントから、3週間のみの日本帰国をはさんで、ボストンへ。

引越しも、この1年で4回した。

仕事はトロントの旅行会社から、無職期間をはさんで、レストラン、そしてボストンの旅行会社へ。

その間に随分いろんなことを考えたり、いろんなことが起きたりした。

自分自身に対して不安になることが多い1年だったように思う。

よく泣いて、よく怒って、よく悩んで、でも、よく笑った、泣き笑いもした。

かけがえのない別れもあったけど、それに代わるほどのかけがえのない出会い。

自分の感情に素直に、敏感に動けた年だった。

こんな起伏の激しい年があっても良いと思う。

 

何度も言ってることだけれど、

私達は選び続けていかなければいけない。

何かを選ぶということは、

一方で、何かを選ばないということで、

欲張りな私は、何度もどちらも選べなくて悩んで、

臆病な私は、決断するときはいつも不安。

でも、結局はこうして、2008年も無事終了。

それはいつも身近で見守ってくれる人たち、遠くてもいつも見守ってくれる人たちが助けてくれるから。

今年もありがとう。

そんな大切な人たちのおかげで、2008年も笑えて終わります。

 

よいお年を。

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2008年12月 8日 (月)

歩く、、そして師走。

ボストンにとうとう雪が降りました。

今朝起きてみたら外は雪景色。

今年は降り始めが遅かったようですが、これで本当にこの長い冬が来た感じがします。

初雪はやっぱりきれいで、しんとした景色の中を歩きたくて調子に乗って外に出たら、完全に凍えました。

やっぱり寒い。

 

会社の研修期間が終わり、この週末からやっと土日休みになりました。

週休二日の素晴らしさを再確認。

快晴な土曜日、我が家付近を散歩。

我が家から歩いて5,6分のところにジャマイカ・ポンドという池があります。

ゆっくり1周歩いて40分くらいの池。

・・・私の大好きな場所のひとつになりました。

池の水は思ったより澄んでいて、まわりも木々に囲まれてて安らげる。

犬の散歩をしているおばちゃんや、真剣にランニングをしているマッチョな兄さん、

腕を組んで歩いているカップル、そして寝ぼけ眼のままぶらぶら歩いている人たち(私を含む)。

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そのままウォーキングに勢いがついて、今度は我が家の向かいにある植物園へ。

ハーバード大学の所有する植物園で、なんとゆっくり歩くと2時間半くらいかかる・・。

歩き始めてから甘く見ていたことに気がついたけど、歩きだしたからには1周しないと気がすまない私。

結果、ここも私の大好きな場所のひとつに。

植物園といっても・・・・

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ひたすら木々と丘が続いているだけなんですけど。

この寒々とした木々もそれはそれで美しい。

ただ黙々と歩いていただけなのに、なんだか得した気分。

やっぱりこういう場所が近くにないとだめだなぁ。

静かに、一人で、ぐんぐん歩いていると、余計な考えとか、不安とか、邪念とか(邪念だらけです)、そんなものが落ちていってシンプルになれる気がするし。

 

・・・師走に入りましたね。

この1月からマイペースに歩いてきたら、、いつの間にか。

世界ではまたいろんなことが起こって、

どこかの国で作られた餃子に毒が入ってたり、

どこかの国ではマグニチュード8.0の地震が起きたりした。

どこかの国で新しい大統領が就任をしたと思ったら、

どこかの国では就任して1年も満たない首相が突然辞任をしたりした。

この間結婚したと思った有名人が、もう離婚して、

傍目にすごい成功をおさめてるような人が捕まったりした。

1会社の経営破綻で金融危機が世界に拡大してる中、

どこかの国では同時多発テロも発生。

 

世界では相変わらずいろんなことが起きていて、

一方の私は、結構もくもくと歩いている。

世界はめまぐるしく変わっている。いや、意外に前に進まず同じようなことをぐるぐる繰り返してるだけなのかも。

似たような事件が起こって、解決したようで、また同じような出来事が起こって。

一方の私は、たいした事件も収穫も、あったのかなかったのかいまいち分からなかったので、

この1年のブログを読み返してみました。

・・・あいかわらず気分の浮き沈みは激しいけど、たいした事件はないなぁ。

でも、間違いは繰り返していないと思う。

思い描いたとおりにいかないことも多々あったり、人の生き方が羨ましくなったり、誘惑やら出来心やら、厭らしい計算やら、そんなこともしてしまいがちだけど、

まぁ、間違いは繰り返していないと思う。

 

・・・と書いていて、すでに2008年締めくくりのようになってきてしまってますが、

いやまだまだ。

どうやらホンモノの『29歳のクリスマス』が近づいております。

予定の全くない私は、いったいどうしたらいいんでしょう。

いっそのことふらっとどこかに旅に出ようかと企んでみたり(意外に楽しそうと思ってしまっている自分がいる)。

 

やっぱり私は、どこかで何かを間違えて、

このボストンで一人29歳のクリスマスを過ごすことになってしまっているのでしょうか。

自分のことは客観的に見れないようです。

誰か教えてください。

(なんだかんだ言って、結局楽しく過ごす気がするんですけど←あくまで楽観的)。

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