<10月7日>
朝4時30分にプーノへ到着。
バスの中が寒く、そして中途半端な時間すぎて私はほとんど眠れず。
隣の席ではセザールがずっと爆睡。さすがの若さ発揮。気持ちよく眠りすぎていて私は軽くいらいらした。
ツアーの開始が8時ということだったため時間を持て余し、朝食をとった後は、お互い黙々と読書。私は友人から借りた『篤姫』を、彼はチリでは有名な詩人の詩集を読んでいる。なんでも彼の皮肉で斜に構えた詩が好きらしい。1編を訳してもらったがいまいち理解できなかった・・・。
8時過ぎにガイドが迎えに来てくれて、他の参加者(多分全員で15人くらい)全員でボートに乗り込んだ。
30分ほどで、全てがトトラという植物で作られているウロス島へ上陸。家も、ベッドも、学校も、そして島自体もこのトトラでできている!そしてさらにこのトトラは食べられるのだ(実際食べたけれど、、無味)。なんにでも使えるこのトトラ、素晴らしいが、、ただ燃えるよね。火事が起きたら全てが燃えます。気をつけてほしいと心から願って島を出た。
ウロス島を去り、ここからさらに3時間ボートで移動し、今夜泊まるアマンタニ島へ向かう。
ボートから眺める景色は、全て青。空の青、湖の青、ところどころに浮かぶ小さな雲、そしてその間には緩やかな山々。標高3800m。富士山の山頂よりも高いところに、こうやって人々は生活をしている。空がとても近い。雲がつかめそうなほどだ。
ボートはとてもゆっくり進む。ふと見ると運転手のおっさんはうとうとしながら運転をしている。大丈夫なんだろうか・・・いや、大丈夫だろう。前を遮るものなど何もない。
ボートの外へ出て、太陽の光を浴びる。日差しがかつて経験をしたことがないほど厳しい。湖自体が大きな鏡の役割をしている。それでもこの湖を吹く風を直接感じたくて外へ出てしまう。
乗客はそれぞれ日光浴をしながら昼寝をしたり、読書をしたり、相方と話し込んだりしている。私は、足をボートの際に投げ出してうとうとしている。ふと目を開けると、隣ではセザールがまだあの詩集を読み耽っている。聞こえるのは波の音と、エンジンのポンポンという音だけだ。目の前には湖と、空と、山があり、背後には同じく湖と、空と、山がある。
アマンタニ島には電気もガスもなく、当然宿泊施設なんてものはない。そのため旅人は島の住民の家に泊めてもらうことになる。
夕方島へ到着後、それぞれいろんな家庭に引き取られる。私とセザールは一緒に旅をしているため、部屋こそ違えど、ジャネットという女性とその家族が住む家へ一緒にホームステイすることとなった。
ジャネットはまだ21歳だが、アントニオというかわいい2歳の男の子を息子に持つ、逞しいお母さんだ。はにかむ笑顔が若々しくかわいらしい。
夕日を鑑賞するために再びみんなで丘を登る。丘といっても3800メートルの高地からさらに300メートルを登るため、かなり厳しかった。呼吸が苦しい。そして朝晩は気温がぐんと下がるため、体がどんどん冷えてくる。
途中休憩を繰り返しながら、アマンタニ島の頂上へ。沈む夕日を静かに眺める。太陽なんて毎日沈むのに、やっぱり美しい夕日を見るとずっと眺めずにはいられない。島の子供達が編んだ腕飾りをセザールは友人へのお土産だと言っていくつか買っている。1つたったの30円くらいのものだ。そのうちのひとつを私の腕にもつけてくれた。温かい旅のお守り。
日が沈んでしまった後は、寒さに半分震えながらも空の藍色とオレンジ色に見とれて丘を下った。村の広場に戻ったころには完全な暗さ。
するとどこからともなく音楽が聴こえてくる。ドラムやシンバルや笛の音色と一緒に子供達の掛け声もする。その音は10分、15分すると随分近づいてきて、とうとう広場にやってきた。
どうやら1ヶ月に1度の村祭りの日だったようだ。島中の子供達が集まり、楽器を演奏し、それにあわせて民族衣装を来た子供達が踊る。
光は全くない。唯一の光は、店からところどころ漏れる蝋燭の光と、私達観光客の放つカメラのフラッシュだけである。そして見上げるとそこにはこれまで見たことのない夥しい数の星。
怖いほどの星空の下、暗闇の中で子供達が踊る。カメラのフラッシュで時々浮かびあがる島の人々の姿。隣ではセザールもぼんやりとしている。時間にして1時間程だったはずだけど、それは一瞬にも思えるし、数時間にも思える。音楽が鳴り止んだ時、我に返ったようだった。
ジャネットに促されて彼女の家へ戻る道すがら、私達は懐中電灯なしでは歩くことができなかった。彼女は毎日歩いている道であるため、真っ暗なせまい道をアントニオをおぶってすたすたと歩いていく。ジャネットと、そしてセザール、彼らの後姿を追いかけながら、まだ私はぼんやりしていた。
ジャネットが私達に作ってくれた夕食はとてもおいしかった。イモ類が中心で、全く肉が入っていないという質素なものだったが、冷えた体に温かいスープが有りがたかった。蝋燭の光の下、感謝して食べた。
彼は「母さんはいつも、あなたの一番大切なものを、もっと必要としている人達に分けてあげなさいって言うんだよね、だけどそれはやっぱり難しくてまだ今の自分にはできそうにないんだ。ジャネットとアントニオに自分の靴とかTシャツを置いていって使ってもらおうと思うけど、それで喜んでくれるかな?」と言った。
そして彼は、「ジャネットの笑顔すごいかわいいよね、いいお母さんだよ。ここは電気も何もなくて確かに貧しいところだけれど、僕はこんな暮らしもそれはそれで幸せで、ここへ来れて彼らの生活を見れてほんとに自分も幸せだと思う。」と素直に口に出した。
私は彼が私が今このスープを飲みながら感じていたことをそのまま表現するので少しびっくりした。感情を共有するというのはこういうことを言うのだろう。
セザールは私よりももっと本気のバックパッカーなのでしっかり寝袋も持参している。
あまりにも星が美しいため、子供のようにはしゃいだ2人は寝袋を広げ、その上に何枚も毛布をかけて、星空を眺めることにした。彼はときどき寝袋に入り外で眠るらしいが、私には初めての経験だった。
標高が高いため、見上げることなく、立ったままの姿勢の目の高さから星が見える。
それを寝転んで見上げると、大袈裟ではなく180度全てが星空となる。完璧な暗闇と静けさ。天の川が見える。そこに星が流れていく。
隣にいるセザールの存在を忘れてしまうほど(おそらく彼も私の存在を忘れていたと思う)、自分が夜空の真ん中に浮かんでいるような感覚。私はこれまであんなに美しい星空を見たことがない。
完璧な静けさを破って、遠くの方からケーナという笛の音色が聞こえてきた。おそらく村の子供が吹いているんだろう。セザールはふざけて「どの星がほしい?」など聞いてくる。それほど、手を伸ばせばとれてしまうほど、星が近い。
それでも1時間もすると完全に体が冷えてしまったため、私は眠ることにした。
私はこのアマンタニ島で経験した時間と感情を忘れたくないと心に決めてベッドに入った。
セザールはそのあとも一人で星空を眺めていたらしい。
<10月8日>
6時半に起床。良く眠れたが軽い頭痛がする。さすがに高山病かもしれない。
それでも再びジャネットの作ってくれた朝食をよく食べた。
ピカロネスという素朴なドーナツのようなものだったが、セザールも私もとても気に入り、彼は作り方までもジャネットに教わっていた。
サヨナラとアリガトウを言い、島を出発。再び3時間のボートにてタキーレ島へ到着。
この島は織物が有名らしく、島民の身につけている服装も色が美しく、湖の青に映えていた。
さすがに連日の移動に私もセザールも疲れており、そして2日連続シャワーを浴びていないという状況(二人とも臭いと言い合っていたが・・)のため、少しおとなしい。
タキーレ島で昼食を食べ、再びボートに乗り込み、プーノへ到着、そしてツアーも終了。
クスコで、このツアーを申し込んで本当によかったと思った。ここに成り行きの旅の楽しさがある。
プーノに到着後はまず宿を探して、念願のシャワー。これほど温水の有りがたさを感じられることは少ない。そして今日がセザールと過ごす最後の日となる。
一緒に夕食をし、まずはクスケーニャという地ビールで乾杯。彼はビール党であり、そして若くもあるのでよく飲む。私は1杯だけにしておいた。
その後、バー、ディスコ(懐かしい響き・・・)をはしごして、私もワイン、カクテルとよく飲んだ。不思議とたいして酔わなかった。
もう1度言うが、ここは富士山よりも高い標高の土地。でもここで楽しまなくてどうするということで、よく飲み、笑い、楽しんだ。
街でも村でも楽しめるトラベルパートナーを持てて、私もセザールも幸運だったと思う。
一人旅には慣れているけど、時間や感情を共有できる人がいることは幸せで、これから一人でまた旅を続けることが少し怖くなってしまう。
こうしてプーノの夜は暮れた。
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