「体は全部知っている」
すっかり初冬の雰囲気な毎日。
昔はもっと春夏秋冬があった気がするけど、
なんだかここ最近は、夏冬が繰り返されてるだけなように思うのは
単に私の季節を感じる感性が鈍くなっているからだろうか。
まぁ、でもこのぴりっとする肌寒さ、大好きなんですけど。
なんだか暖かくぽかぽかぼんやりする気候より、肌のきめまで澄んだ透明の冷たさが入る、
引き締まる感じが好きなのです。
子育ての合間、世の子育て母さんは何をしてるんだろうか。
もちろん家事は別として。
私は専ら読書をしている。育児、家事の合間をぬってなので、少しずつしか
読み進められないけど、むしろそれを楽しみながら毎日ちびちびと頁をめくっている。
サスペンス、エッセイ、長編・短編小説もろもろ。
この間、吉本ばななの「体は全部知っている」を読んだ。
彼女の短編集はあまり読んだことがなかったけど、まさに、子育ての合間に、
気負うことなく読めた本だった。といっても別につまらないと否定するわけではなく、
むしろ肩の力を抜いて共感できるような。
タイトルどおり、からだはときに心よりもさきに、いろんなことを気づいて、感じて、
自分自身に教えてくれる。思うより先にもうからだは
分かっているのだ。
そして、悲しいかなそれは、きっと若ければ若いほど鋭敏なんじゃないだろうか。
年を重ねるに従って否が応でも感受性をすり減らし、
体が感じていることに鈍くなったり、無視してみたり。
「おやじの味」という短編がおもしろかった。
、、、木がびしょびしょに濡れていくのを、じっと見つめていた。それはまるで私達人間が息を
するように、葉は濡れるのを喜んでいるように見えた。つるつる光る表面に透明な
水滴がどんどん流れていく。官能的なながめだった。
私はただ真剣にぼんやりと、雨の日が過ぎていくのを見ていた。
しめった土の匂いや、緑の青臭い匂い。自分にも匂いがあるのだと思った。
発散しているのだ。
、、、久しぶりに食べたオムレツは死ぬほど懐かしい味がして、わたしは、久しぶりに、
生きていることに意味があるような気がして、ビールを飲み過ぎてしまった。
生きていることは本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もう覚えきれないほどの
美しいシーンが私の魂を埋め尽くしているのだが、生きていることに意味を持たせようとするなんて、
そんな貧しくてみにくいことは、もう一生よそう、と思った。
例えば、ゼロ歳の息子が今の生活を記憶に残してるなんてことはないんだろうけど、
体の何処かに、無意識の中にも、自分がどれだけの人に愛されて育ってきたのかを染み込ませておいてくれてたらと思う。
全く本筋とは関係ないが、この間支援センターで息子を遊ばせていた際、
あるお母さんから話しかけられ、「実は以前からお見かけしてました!○○社宅の
1階に住まれてますよね?私、斜め向かいの3階に住んでいるんですが、
娘が同じぐらいの歳なので、ベランダで息子さんをあやされているのをみて
私も頑張ろうと、励まされていました!」
私、ぐずる息子をすっぴん、フリース姿であやしていたんだろうなぁ。。
あぁ、どこで誰に見られてるかわからない。。いつもクールで素敵な母さんで
いたいものです。まぁ、なんにせよ、勝手に誰かを励ましていたのならそれはよかった。
さぁ、年末まであと少し!なんて、なんて時が過ぎるのは早いんだろう!
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