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2013年9月23日 (月)

酸欠

先日、生まれて初めて整体へ行ったところ、
「疲れてますね。体が酸欠状態ですよ。とにかく息を吐くことを常に意識してください。」と、言われた。
整体といっても、一般にイメージするボキッとされるものではなく、気功整体という
東洋医学の気の流れから骨盤の歪みなどを治療する所らしく、実際始まるまで軽く不安だったが、
終わってみると多少軽くなっていたので、とりあえず続けてみようかと思う。
ボキボキしないのは、小心の私にとってはいいのかもしれない。

間違いなく出産後から両膝が曲げ伸ばしする度に痛み、左股関節も痛みだした。
首、肩の凝りは当然、加えて最近は夜中よく息子に起こされる為、常に浅い眠り。
でも、それを気にしていては育児は進まないし、まぁ世の子育て真っ最中の人達は同じような体調なんだろうと今も思っている。
ただ、この痛みの症状は明らかに骨盤が歪んでいるからに違いないと思い、人生初の整体を受けてみたのだ。

確かに、酸欠というのは当たっていて、まさに出産で思い切り息を止めていきんでからはじまり、
日々常に隣りには、生まれたてのふにゃふにゃほわほわの体があるのだから、ゆったり深呼吸している余裕なんてなかったのかもしれない。
自分なりに楽しんで、穏やかにいるつもりだけど、体は正直に凝りやら疲れやらを現してくる。
酸欠と言われてから呼吸を意識してみると、あ、今息止めてたかも、と気づく瞬間が1日に幾度かある。これはもうきっと子育て始めてからに限ってではない。
何かに集中したり、考え事をすると呼吸は自然と浅くなってるようだ。

妊娠中、よく深呼吸しながら散歩をしていた。母体が取り込んだ酸素は子どもにまで届く。
届いてるかなー、届いてるよねー、と。
過去こんなにいきんだことないほどいきんで、その小さな体は出てきたわけだけど、
こうして頑張った、頑張っている自分の体も労わってあげなければ。
酸素はもう届ける必要はなくなったけれど、息子の寝顔をみる度に、絶対今倒れるわけにはいかない、
もう少し大袈裟に言えば、絶対今は死ねない。と強く思う。
ここまで、生きるということを意識して、執着したことが過去あったんだろうか。
特に意識もしていなかったような。
私なんて消えてしまっても、世の中はなんの興味も示さず、何事もなかったかのようにスピードを緩めるわけでもなく回っていくんだろう。
ただ、今隣にいるふにゃふにゃほわほわの命には、やっぱり私が当分は隣に居続けなきゃいけないだろうし、居続けたいと思う。

さ、なので、もう少し肩の力を抜いていこうと思います。
深呼吸、深呼吸。

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2013年9月20日 (金)

つづくちゃん

母と息子と一緒につづくちゃんに会ってきた。
つづくちゃんは、母の従兄弟であり、ちゃん付けはしているが、
70才を超えた、世間では老人に分類される人だ。
母の実家の数件先に住んでいる為、私も幼い頃はよく遊びに
いったものだ。

ブログでつづくちゃんのことを書くのはもちろん本人の承諾も得ていないし、
プライバシーの侵害にもなるので、あまり詳細は書けないけれど、
まぁ一言でいうと随分変わった人だということ。
数年前母親を亡くし、今は一人暮らし。父親は戦死したため、
つづくちゃんには自分の父親の記憶はない。兄弟姉妹もいない。
結婚もしていない。心に決めた人と悲しい別れをしてから、
生涯結婚はしないと決めたそうだ。
もう定年退職をして、一人毎日それこそ悠々自適に暮らしている。
海外にふらっとでかけては絵葉書をよこし、自分で描いた絵を立派な額縁にいれて
渡してくれる(これはなかなか上手い)。
多少面倒なのは、自分で発明したという立体パズルを何かの理由をつけて
渡され、さらにそのパズルに対する感想を半ば強要されることだ。
なんでもそのパズルを作るテーマが「平和」というのだから、スケールが大きすぎる。
なぜ、そのパズルをすることが平和につながるかは、説明すると長くなるので
やめておきます(実際、つづくちゃんはそれに関して1時間近く話し続けた)。
それでも、発展途上国の子供達に資金援助をしたり、被災地へボランティアに行ったり、
児童館で発明した子どもおもちゃで一緒に遊んだり、、なにかしら社会には貢献している
ようではある。
あ、結局かなり詳しく書いてしまった。

さて、長々と書いてしまったけれど。
何が言いたかったかというと、生き方は当たり前だけど人それぞれで、
家庭を持ったから幸せ、いい仕事についたから幸せ、金持ちだから幸せ、
人に愛されてるから幸せ、、といった簡単なものではなく、
自分がその生き方にどれだけ納得しているか、みたいなものな気がする。
その点でいけば、つづくちゃんは自分の生き方に、見ていて潔く
気持ちいいぐらい納得しているようだ。
生涯独り身でいようと、もしくは家庭に閉じ込められようと、貧乏しようと、
孤独死しようと、まわりによほど迷惑をかけなければ、自分が納得してるなら、
それでいいのかもしれない。

私は納得しているか、、うーん、6,7割といったところだろうか。
つづくちゃんと話していると、こんな生き方もあるのね、と思う。
結婚祝いにもらったパズルはまだ組み立てられていないが、、そこそこ平和に
暮らしてはいる。
パートナーがいたって、子供がいたって、素敵な親友や同僚がいたって、
どこまでも結局は自分一人。自分が納得してない生活は、いくらまわりが羨むものだとしても、
きっと虚しい。
妥協せず、でも夢見がちにもならず、ただ、自分が納得はできる生活をしたい。

って、なんか熱い話になってしまったような。
久々に文章を書いてるから、熱量がうまく調整できません。

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2013年9月19日 (木)

若葉

随分ブログを更新していないので、まーいいか、このまま終了なのかしら、
なんておもっていましたが、隣ですやすや昼寝をしている息子をみていて、ふと思いたち、
初めてスマホから更新をしています。だから変な表示になってしまうかも。

息子が産まれて半年が経ちました。
出産の痛み、、予想してましたが、しんどかった。腰が割れるかと思った。
出てきた瞬間は嬉しいというより、ただただ安堵感。
そして一息つく間もなく、育児は始まったのです。

この半年間の生活に関してここに書き始めると長くなるし、久々のブログなので、
今回は短めに。

子どもを産むってすごいパワー。そしてそのパワーは、私が持っているものではなく、
間違いなく父となり、祖父母となり、叔父叔母となる人達からの、
そして助産師さん、看護師さん達からの、そうしたまわりにいる人達からのパワーで、
それを私の体を使って、最後には子ども自身がそれこそ必死に生まれてくるんだと、
それはもう目が回るほど昔から当然続いてきた営みなんだけど、私はまだ、この手に
自分の身体から出てきた命があることを不思議に思えてならない。

私のおじいちゃんがひ孫を抱いて一言。
「この子がこうして、ここにいるっていうことは、ご先祖様も生きて
この場にいるってことだよ。」
そう、私は、私たちは、繋げることができたのだ。

こんなに頼りなげで、でも生きたいと全身で表現する息子を前に、
なんとか、この世界が彼に優しくあって欲しいと願ってしまうのだけど、
まぁそんな甘くもない世の中。ただただ優しく強い人になって、飄々と、でも
情熱的に生きてほしいなと思う。

夜中何度も起こされる日々が続いてますが、こうなったらいつまでだって付き合って
やろうじゃないか。彼の眠る額に掌をあてると、私まで生まれたてのような、
初々しい気持ちになる。目を閉じると、その額の奥から、これから始まる未来へ向かう芽が
ぐんぐん伸びる情景が浮かぶ。若葉が柔かな風にそよぐのを温かく身守ることができる。


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