難解パズル
やっと秋の気配がしてきて、今日は洗濯日和。
ブログの更新があまりにもなかったせいか、久々に会った友人から、
「ブログやめちゃったんだね」と言われた。
そうだ、気づけばずっと更新していなかった。
特にあえて書くことがなかったわけではない。
前回のブログで予告していたアフリカ旅行は素晴らしくて、
今でも、四駆で走り抜けたサファリの夕暮れや、夜中に聞こえてくる得体の知れない
動物達の鳴き声、ダチョウやらワニやらの料理の美味しさや、テーブルマウンテンから
見下ろしたケープタウンの美しい街並み、ビクトリアフォールズの激しく流れ落ちる
爆音、ザンベジ川からの雄大な景色、そしていつも隣りにいたすっかり日焼けた夫の
横顔を思い出しては、なんていい旅だったんだろうと思い出す。
その人の旅は、その人そのものに似ているんじゃないかと、旅をするたび思う。
私の旅は(私たちの旅は)、決して計算つくされた、観光地を網羅したような完璧な
ものではないが、気楽に、その土地のものや人にある程度流されながら、
無理をしないものであるように思う。
夢のような旅から戻ったあとは、当然いっきに現実へ引き戻される。
毎日繰り返される仕事、家事、雑用の全て。
ブログを更新できなかった理由の1番はきっと、体調不良。
妊娠をしたこと。
つわりはひどいほうではなかったが、この夏の猛暑と重なり、仕事と軽い家事を
するだけで、疲労困憊。そして睡眠薬を飲んだのではないかと思われるほどの
恐ろしい眠気。1日中常にある胸焼け。おかげでアルコールはなんの無理をすることも
なく絶つことができた。
そんな胸焼けが9月に入った途端になんの前触れもなく終了したのだ。
子供はすぐにでも欲しかった。半分以上は好奇心であったのかもしれない。
ただ、そんな好奇心が、初めて診察を受けた日に少し変化した。
超音波検査で、自分の体の中に小さな小さな心臓が脈打つ姿を見て、
自然と涙が溢れた。
感動とか、嬉しいとか、そういう一言では言い表せない。
それはとても厳かとでもいうんだろうか。もうひとつの命が確かに脈打って
自分の中で生きようとしている。人間の体にはなっていないけれど、
それはもう完全にひとつの命として生きていると感じた。
こんなに自分の体を大切にしなければいけないと思ったのは初めてで、
帰り道ふわふわとした気分で家に着いたのを覚えている。
そしてやっと安定期と呼ばれる5ヶ月目へ突入しようとしている。
長かった。まだ生まれてもいないのに、この数ヶ月は長かった。
5ヶ月目の戌の日には安産を祈願して、腹帯をつけ始めるらしい。
犬は多産でもあるのに安産が多いことから戌の日に祈願することが
始まりとのこと。
犬と比べるのはおかしいが、人間は犬に比べて何倍もの期間おなかの中で
子供を守り続け、しかも、生まれた後だって、犬の子供のようにすぐ歩いてくれる
わけではない。果てしなく長い期間子育てをしなければいけないのだ。
人間も犬なみの出産だったらいいのにとつわりの期間に思ったが、
そんなことはありえないので耐えるしかないのだ。その長い期間に母性が
どんどん芽生えていくんだろうか。
つわりが軽くなったといっても、眠気や疲労感は続いている。
同僚のNateに、「毎日本当に疲れるんだけど!眠いし」と訴えたところ、
いつもの飄々とした顔で、「当たり前でしょ。今、おなかの中で超複雑な
パズル組み立ててるんだから」と言われた。
その通りだ。
私が、起きてようと寝てようと、こうしてパソコンに向かっている間も、
料理をしている間も、仕事でストレスの溜まる電話をしている間も、
洗濯を干している間も、ソファでだらっとしている間も、
無意識だけれど、常に体の中では、難解なパズルがちゃくちゃくと組み立てられている。
それは私がかつて作ったことのない(しかも私はパズルが本当に苦手だ)
複雑極まりないものだ。
そりゃ疲れるはずだ。
そんなパズルがなんとか完成し、直接抱きしめることができるのは
3月半ばになりそう。ほわほわのふわふわなんだろうか。
どんなパズルでもいいから、とにかくなんとか完成させて(不器用な
母親なので心配ではある)、無事に顔を見せて欲しい。
そしてできれば、痛みに弱い私をなるべく苦しませないで
出てきてくれれば完璧だ。
どんなことでも初めて挑戦するときは、期待と興奮とそして不安が湧き上がる。
それの最大版が今だ。
子供を産む、産まない、それに関しては人それぞれ意見があって当然だと思う。
ただ、今はこの難解パズルを抱えながら、最大版の興奮と不安を与えられて
過ごせることが楽しく、感謝したいと思う。
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