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2011年11月20日 (日)

わかちあう。

『深い河』を読み終えた。

様々な事情を抱えた人達が様々な思いでガンジス河へ向かう。そしてその場所でそれぞれの人生の意味を見つけていく、といった内容。

これまでに読んだ旅行記、観た映画、友人からの話、インド人ルームメイトからの話。

その光景は想像として目には浮かぶけれど、いつか実際に訪れたいと思ってる所、それがインドだ。

『深い河』にも書いてあったし、友人も言っていたけれど、インドは一度訪れると完全にはまって何度も訪れたいと思う人と、もう二度と訪れたくないと強烈に思ってしまう人に分かれるらしい。

私はどちら側になるのか、それを知りたくもある。

世界中を探しても、死を待つための場所が用意されていて、そこへ自分の死を悟った人が集まるなんてところがあるのだろうか。

実際にその場に居合わせるにはいろんな意味で自分を消耗する気もするし、覚悟もいる気がするので、今このときにいくべきだ!という向こうから呼ばれた実感がしたら訪れてみたいと思う。

それにしても、今年中に読みたい本リストはまだまだ消化できていないのに、今年もちゃくちゃくと終わりへ向かっている。どうしよう。

歴史小説も久々に読みたいし、エッセイや純文学も気になる。記憶力がないので、昔読んだ本をまた読みたくもなっている。

読みたい本リストを眺めているといつも祖父の姿が浮かぶ。

彼は私の知る限りいつも、畑で農作業をしているか、部屋で大量の本に囲まれて読書をしているか、仏壇に向かってお経を唱えている。

『おばあちゃんにはいつも、「あなたまたそんなにたくさん本を買って!すぐ読みもしないのに」って怒られたんだよ』と、よく祖父は笑って話す。

それを聞きながら、私もそうなりかねないと思う。図書館や古本屋さんで本に囲まれた環境はわくわくするし、すぐに読まなくても、興味ある本をまわりに置いておくだけでまず満足なのだ。

私の夢の時間は、大好きなイクラをぎっしり詰めた湯船につかって、ちらっと日本酒を飲みながら、大量の本を回りに積み上げた中で読書をすることだ。

もちろんこんなこと実現するはずないし、したらしたで気持ち悪い。妄想の世界です。

その祖父に、この間、相方を初めて紹介した。岐阜弁丸出しでにこにこと話続ける祖父に会って、私が祖父のことを好きだという理由がよく分かったよと言われた。

本はよく読むけど知識人ぶるのではなく、常に体からは畑の土の匂いがする、温かくていつまでも子供のような好奇心で溢れている人だと思う。この祖父が元気で居てくれている間に相方を紹介できてよかった。

先月、入籍をしました。

私の目標とする夫婦像は、この祖父と亡き祖母。

末期癌の祖母を毎日病院で看病して、それを生きがいだと笑って言っていた祖父と、亡くなる前に、私の棺おけにおじいちゃんとおそろいのパジャマを入れてと頼んだ祖母。

これから私たちだって老いていくばかり。それを悲観的に捉えるんじゃなくて、一緒に老いていくことを楽しめる間でいたい思う。

私にとっての幸せってなんだろうと思ったときに、心から信頼できる人が常に側にいて、その強い関係の基盤がある上で、大切に守りたいものがある上で、もっともっと新しいことや興味あることに挑戦できる初々しい自分でいられることだと気づいた。

人によって結婚の捉え方は様々だと思うけれど、私にとってはとても覚悟のいることで。

でもその覚悟は前向きで気持ちのいいものだった。

相方はよく、「分かち合いたい」、という。私もそう思えるようになった。

楽しいこと、笑えることはもちろん。辛いこと、泣けることも。

インドにはついてきてくれないかもしれないけど・・・。

頼りあうことは弱いことではなくて、むしろお互いをさらけ出せる、頼りあえるという意味で強く幸せなことなんじゃないかと思う。

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