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2011年6月26日 (日)

ことだま。

日曜だというのに、むわっとする暑さで早起きをしてしまったけれど、

窓を開ければ意外に爽やかな風が入り込んできたから、ソファーでのんびりしながら得をした気分になっている。

『ゴールデンスランバー』を読み終えた。物語の背景はハリウッド映画のように壮大だけれど、主人公のあまりの平凡さと必死さに惹きこまれて、小説の終盤にもなると読み終えるのがもったいなく、何度も前のページに戻ってはもったいぶりながら読んだ。

どんなに無様でも不細工でもいいから、逃げて、そして生きていく。

その主人公の逃げっぷりと、生きようとする懸命さが強烈に伝わってくる話だった。

いつだって、新しい本を手にとって、最初のページを捲る瞬間がたまらない。

活字をおうことと、映像を見ることの決定的な違いは、活字が読み手それぞれの想像力によってどこまでも自由にその背景を広げられることじゃないかと思う。

活字をおいながら同時に頭の中でいろんな描写をしている。だからときどき映画化やドラマ化された物語を観て、あれ?と思うこともしばしば出てきてしまう。仕方のないことかもしれない。

机の上には次に読む本が控えていて、その新しいブックカバーを見るとドキドキしてしまう。

『ゴールデンスランバー』を読んだ感想でもあるけれど、最近、本当に言霊ってあるんだろうなぁと感じることが何度かあった。

前向きな言葉を発すると結局はそのようになっていくもので、その逆もしかり。

私はこうなっていたい、こうしたい、っていうことを周りの人達に声に出して言うことで、自分にも言い聞かせられるし、そして周りもそのような状況に自分を持っていってくれるように思う。

実際、前向きな言葉を発しながら努力している人達が周りにいるからかもしれない。そんな人達に対しては素直に応援したいと思うし、やり遂げたときは心からよかったね、ということができる。

ああしたい、こうなっていたいと人に言うのは結構勇気がいるもので、誰かに伝えることでもうそれは当然自分の中にとどめておくことも、諦めて、これは最初からなかったものだったんだなどと思い込むこともできなくなる。後戻りができなくなる。

だからこそそれが力にもなったりするんだろうけど。

32歳の誕生日も近く、まぁ改めて、なっていたい自分、そんなものを考えたりして。

文章を書くとき、何度も書き直したり、言葉を足したり、伝え方をかえたり、そんなことを繰り返しながら自分の気持ちが整理されてくるように思う。

その一方で、理屈をこねすぎたり、いいかっこしてみたりもできたり。

私は苦手とする言葉の伝え方を、32歳も目前としたいい大人になって、上手になりたいなぁと思い始めた。上手な伝え方というとなんか語弊があるかもしれないけど、素直に言葉に出すことを恐れずにいたいと思うようになった。

自分には正直に。

やりたいこと、正しいと思うこと、そんなことを口に出して、そして動ける大人でいたい。

自分の言葉をかみ締める感じ、もぐもぐと。

 

『さよならCOLOR』

そこから旅立つことは 

とても力がいるよ

波風たてられること

きらう人 ばかりで

 

でも 君はそれでいいの?

楽がしたかっただけなの?

僕をだましてもいいけど

自分はもう だまさないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことが 見えてるなら

その思いを 僕に見せて

 

自分をつらぬくことは

とても勇気がいるよ

だれも一人ぼっちには

なりたくはないから

 

でも 君はそれでいいの?

夢の続きはどうしたの?

僕を忘れてもいいけど

自分はもう はなさないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことが 見えてるなら

その思いを 捨てないで

 

サヨナラから はじまることが

たくさん あるんだよ

本当のことは 見えてるんだろ

その思いよ 消えないで

その思いを 僕に見せて

~ ハナレグミ ~

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