つつじ溢れる庭を横目に。
久々に自転車をこいで近所をぶらついてきた。
なにこれ!相当気持ちいい。調子に乗ってちょっと遠回りして帰宅。
車の運転ができない私は、普段の移動は専ら公共交通機関か徒歩。
自転車の便利さと気持ちよさを実感。
母の日週末でもあって自宅に帰ってのんびり。庭にはツツジが自由に咲き乱れている。
金柑も大量になっているけれどどうするつもりなんだろ。
昨夜は買ってきた日本酒を結局私と父であけてしまった。
飲みだしたらとまらない姿を目の前にして、自分は気をつけようと。その反面教師っぷりは変わらず。まぁ、それでも遺伝子には抗えないとの開き直りもあるけれど。
GWはたいして遠出はしなかったけれど、それなりに楽しめた。
奈良で古墳めぐりをしたり(渋すぎる)、大阪新世界で串揚げやのはしごをしたり、IKEAに丸1日入り浸って家具や雑貨を買い足したり。
ママさん友人たちと子連れランチをした翌日は、今度は独身友人たちとセレブランチしたり、相変わらず大好きなモーニングをしたり。
なぜか麦藁帽子を衝動買いしてみたり、柏餅を食べたら和菓子がとまらなくなったり。
料理がなんだか楽しくて何かと作っては消費して、またスーパーへ行くことを繰り返したり。
まぁ、基本食べていた。ということなんですけど。
胃が合う人たちと一緒に食事をすることは、大袈裟ではなく、生きていく中での重要項目で、それは、圧倒的に私の生活を明るくする。
理屈なしにして、おいしい!と胃が喜ぶ食事を前にして、しかも好きな人たちと一緒に過ごせる時間がこの休みには何度か持てたと思う。
なんだこの単純な幸せは。
でも、この単純な幸せを感じられることに感謝。
相方と一緒に住み始めての実感。
私は本当に不十分で、一人ではたいして何もできない。
一人の自由さがなくなる窮屈さの何倍も、二人だからできることを見つけたり感じる喜びがあるような。
週末ぼんやり起きて、寝癖のままギターをぽろんと鳴らしてたりする人を見ると、なぜか急に客観的に、あぁ私はこの人の人生の一部になっていって、この人は私の人生の一部になっていくのだと、一気に目が覚めるように感じることがある。それはとても当然のことのようでも、ものすごいことのようにも思える。背負い、背負われで進んでいくんだなと。
なんだか人生にはいろんな段階があって飽きない。
それ自体は平凡で世界中に溢れていることであっても、
いちいち感じられることに今は感謝。
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