五分五分。
おかげさまで無事今年も誕生日を迎えることができました。
このブログを始めて4度目の誕生日。そして3年ぶりの日本からの更新。
なんて暑い時期に生まれたのだろうかとつくづく感じる。
31歳って、、大概な大人。
去年も書いたけれど、高校生くらいの頃、まさか自分にも30歳を超える日がくるなんて思っていなかった。
そして、もし迎えることになったとしても、きっとそのころには自分はもっと自信やらお金やら賢さやら家庭やらいろんなものを持っていて、この冷静で不平等な世の中にもあたふたすることなく強く生きているか、もしくは明るく平等に変わった世の中で幸せに生きているんだろうと思っていた。
チェ・ゲバラだってきっとそう思っていただろうし、ジャニス・ジョプリンだって、尾崎豊だって、そう思っていたに違いない。
世界は、今よりは絶対に自分の思うように動いているだろうって。だって自分達が大人になっていくのだからと。
30歳すぎの大人達のいうことなんていまいち信じられず、世間体を気にしすぎた意見ばかりで、それに比べたら、高校時代の私や私の友人達をそのまま大人にすれば随分世界は明るく分かりやすく、人種差別やら、貧困やら、戦争やら、そんなものももしかしたら減っているのかもなどと、漠然と信じていた。
今、口に出してこんなことを言ったら、きっと笑われるんだろう。
ロストジェネレーション特有の、先に対して大きな希望を持てないあきらめや形のない不安感が当然あったものの、同時に、でもきっと、もしかしたら、といった期待も持っていたように思う。
そして現実を見れば、
やっぱり相変わらず世の中には人種差別も、貧困も、戦争も、それ以上の目をそむけたくなることが日々溢れていて、それはなくなりそうもない。私は私でたいしたものも身に付けられておらず、弱いままだったりする。毎日溢れる選択肢の中を何とか正しいことを選びたいとびびりながら一進一退を繰り返している。
結局は物事なんてすべて五分五分だと大人になって思う。
嬉しいことがあったり、褒められてにやりとした直後に、
突き放されたり、責められてへこむ。
棚ぼたの話なんてやっぱりまるでなくて、ばら色の人生なんて待っていても来ない。
10代の頃信じていた大人の世界は、ただ、あの頃の延長でしかなかった。
それでも、いいこと、嫌なこと、五分五分でやってくることの不思議さ。
だからいいことがあったときには、人一倍の鋭さで、その嬉しいことを感じていたいと思う。
どうせ五分の確率でプラスマイナスが繰り返されるのであれば、
やっぱりプラスのときは、素直に、いくら世間体上大人になったとしても、喜びたい。
そのほうがきっと、幸せなんだと思う。
私のことを昔から知っている人はきっとわかるだろうけど、
根本的にたいして変わっていない。
理想主義で、でも適当で、不器用で、なのにプライドが高い。結局よく分からない。
それでもこれまで生きてきて分かったことは、
大概の人にとってプラスとマイナスは五分五分で訪れるということ(さっきも言いましたが)。
だからその人の受け取り方次第だと思う。
プラスに重きをおくか、マイナスに重きをおくか。
前者であったほうが、きっと人生は楽しい。
31歳も大好きな人達が側にいてくれることに感謝して。
高校生の私が思った、信じられないような大人になりたくないっていう気持ち、そのまま。
ただ、素直に、あくまで理想を持っていたいと思う。
ニーチェの言葉じゃないけれど、
今のこの人生を繰り返してもかまわないという生き方をしたいなぁと。
大袈裟に言えば、そんなこと。
簡単に言えば、やっぱり笑っていたい。
と、いうことで、明日からベトナムへ行ってきます。
てろてろな31歳大人夏を過ごしてきます。
| 固定リンク
「我思う。」カテゴリの記事
- ほろ酔いの独り言。(2011.09.18)
- ことだま。(2011.06.26)
- なんだか清清しい本日。(2010.10.27)
- 五分五分。(2010.08.07)
- ワラエレバ的2009年(2009.12.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント