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2010年8月23日 (月)

夏の思い出。

日曜夜のジムには私を含めて3人しかおらず、ほぼ貸切状態。

ありえないほどの汗を流して走った。久々の運動はやっぱり気持ちがいい。

もう少しで真ん丸になる月を眺めながらぶらぶらと家まで歩く帰り道が気持ちいい。

空気は昼間に圧倒的な熱と強烈な光を吸い込んだせいで、まだまだぬるく湿っているけれど、やっぱり夏の夜は大好きだと思う。

社会人始まって以来の長い夏休みが終わって、また変わらず忙しい日々に戻った。

こうして時間は流れていく。

 

この夏休みは、自分でも、よく食べよく眠りよく動き、よく笑えたと思う。

親友と郡上八幡の徹夜踊りへ久々に出かけた。

民宿を予約しての1泊旅行。

彼女の運転でゆるく旅はスタートして、途中で無駄に道の駅へ寄り続けたり、川で遊んだり、CDから流れる曲を口ずさんだり、目の前を猿に横切られたりした。

民宿のおかみさんはかわいらしいけど、話しだしたらなかなか止まらない。

もう1組の旅行客は大阪のおばちゃん4人組で、こちらもよく話す。私は大概年配の方々から気安く話しかけられるタイプなので、今回も当然つかまり、なんだかいろんなアドバイスを頂いた。おせっかいな人々が実は結構好きだ。

メインの徹夜踊りは相変わらず楽しい。

子供の頃、何度か家族で来たことを思い出す。ほろ酔いの父がかなりの勢いで踊っているのを、子供心に大丈夫か?と不安になりつつも、みんなで見よう見まねで踊るのが楽しかった。

今回は、まず仮眠をとってから、一番盛り上がる深夜から終了にかけて親友と踊り続けた。

深夜3時4時に、みんなで同じふりつけの踊りをし続けることがだんだんおもしろくなってきて、あと、あのなんともいえない団結っぷりに軽く感動もしたりした。

夜中、街中に、踊り下駄が揃って鳴り響く。

私は翌朝目覚めてからもずっと、頭の中で「かわさき」が流れて離れなかった。

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ベトナムへの一週間の旅。

こちらもマイペースにだらだらと。

ホーチミンは、原付バイクの数が半端ない。でもあの混沌さは好き。

おじいちゃん、おばあちゃん達の顔が一様にくしゃくしゃでかわいい。

ぼんやりと川岸でビールでも飲んでいると、物売りのおっさんが寄って来る。

こっちも特に急いではいないので、あーだこーだとのんびり値切ったりして、お土産のジッポを買ったりした。

食べ物は何もかもがおいしい。大概、夜市かその辺の食堂で食べるのだけれど、どれもおいしい。水みたいに薄いビールとよく合う。あ、でもベトナムコーヒーは苦手だ、匂いが甘すぎる。

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ホイアンは、海辺の田舎町という感じ。

旧市街は文化遺産となっていてぶらぶら歩きが楽しい。

あとは、海。海。

人生初のスキューバダイビングをしてみたり。プライベートビーチでてろんてろんになったり。浮き輪に乗ってぷかぷかと漂ってみたり。

おなかが減ったら食堂で食べて飲んだ。

夜風が気持ちよくなったら、海岸沿いにぽつぽつと敷いてある茣蓙にキャンドルの明かりで寝転がって、また水みたいなビールをすすりながら星を眺めたりした。

私はほぼすっぴん、てろてろなワンピースで子供みたいになっているし、相方は相方で日に焼け、髭が伸びるままにしていたせいか、ベトナム人に間違われる始末。

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20代の私は随分一人旅をしたように思う。ときどき寂しいという感情を抱いても、それ以上に一人で動くことの自由さと身軽さがあり、今後もずっと機会があれば一人旅は続けていきたいと思っていた。

今回私に起きた大きな変化は、もう、一人旅は卒業してもいいかなと思えたことかもしれない。

自由さや身軽さよりも、共感しあったり分かち合う喜びみたいなものが、やっとわかってきたみたい。

まぁそんなこといいつつ、来年くらいに一人でインドとか行っちゃってるかもしれないんだけれど。

忙しい日々には戻ったけれど、左足首につけていたアンクレットの日焼け痕が残っていて、それをみると少しくすぐったいような気持ちになる。

すごく、いい夏で、私はとても嬉しくて、幸せものだなぁと思う。

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2010年8月 7日 (土)

五分五分。

おかげさまで無事今年も誕生日を迎えることができました。

このブログを始めて4度目の誕生日。そして3年ぶりの日本からの更新。

なんて暑い時期に生まれたのだろうかとつくづく感じる。

 

31歳って、、大概な大人。

去年も書いたけれど、高校生くらいの頃、まさか自分にも30歳を超える日がくるなんて思っていなかった。

そして、もし迎えることになったとしても、きっとそのころには自分はもっと自信やらお金やら賢さやら家庭やらいろんなものを持っていて、この冷静で不平等な世の中にもあたふたすることなく強く生きているか、もしくは明るく平等に変わった世の中で幸せに生きているんだろうと思っていた。

チェ・ゲバラだってきっとそう思っていただろうし、ジャニス・ジョプリンだって、尾崎豊だって、そう思っていたに違いない。

世界は、今よりは絶対に自分の思うように動いているだろうって。だって自分達が大人になっていくのだからと。

30歳すぎの大人達のいうことなんていまいち信じられず、世間体を気にしすぎた意見ばかりで、それに比べたら、高校時代の私や私の友人達をそのまま大人にすれば随分世界は明るく分かりやすく、人種差別やら、貧困やら、戦争やら、そんなものももしかしたら減っているのかもなどと、漠然と信じていた。

今、口に出してこんなことを言ったら、きっと笑われるんだろう。

ロストジェネレーション特有の、先に対して大きな希望を持てないあきらめや形のない不安感が当然あったものの、同時に、でもきっと、もしかしたら、といった期待も持っていたように思う。

そして現実を見れば、

やっぱり相変わらず世の中には人種差別も、貧困も、戦争も、それ以上の目をそむけたくなることが日々溢れていて、それはなくなりそうもない。私は私でたいしたものも身に付けられておらず、弱いままだったりする。毎日溢れる選択肢の中を何とか正しいことを選びたいとびびりながら一進一退を繰り返している。

 

結局は物事なんてすべて五分五分だと大人になって思う。

嬉しいことがあったり、褒められてにやりとした直後に、

突き放されたり、責められてへこむ。

棚ぼたの話なんてやっぱりまるでなくて、ばら色の人生なんて待っていても来ない。

10代の頃信じていた大人の世界は、ただ、あの頃の延長でしかなかった。

それでも、いいこと、嫌なこと、五分五分でやってくることの不思議さ。

だからいいことがあったときには、人一倍の鋭さで、その嬉しいことを感じていたいと思う。

どうせ五分の確率でプラスマイナスが繰り返されるのであれば、

やっぱりプラスのときは、素直に、いくら世間体上大人になったとしても、喜びたい。

そのほうがきっと、幸せなんだと思う。

私のことを昔から知っている人はきっとわかるだろうけど、

根本的にたいして変わっていない。

理想主義で、でも適当で、不器用で、なのにプライドが高い。結局よく分からない。

それでもこれまで生きてきて分かったことは、

大概の人にとってプラスとマイナスは五分五分で訪れるということ(さっきも言いましたが)。

だからその人の受け取り方次第だと思う。

プラスに重きをおくか、マイナスに重きをおくか。

前者であったほうが、きっと人生は楽しい。

31歳も大好きな人達が側にいてくれることに感謝して。

高校生の私が思った、信じられないような大人になりたくないっていう気持ち、そのまま。

ただ、素直に、あくまで理想を持っていたいと思う。

ニーチェの言葉じゃないけれど、

今のこの人生を繰り返してもかまわないという生き方をしたいなぁと。

大袈裟に言えば、そんなこと。

簡単に言えば、やっぱり笑っていたい。

 

と、いうことで、明日からベトナムへ行ってきます。

てろてろな31歳大人夏を過ごしてきます。

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