« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月18日 (日)

将棋をさす指の美しさにドキッ。

何も予定がなく、誰かと会うこともない日曜。久々かもしれない。

今日は洗濯物を干すためにベランダへ出た以外は外出していない。声もほとんど発していない気がする。たまにはこんな日も良い。

このところ寒い日が続いている。衣替えが苦手な私は、大概間違えた格好をしてしまい、寒かったり暑かったりと調整ができないでいる。こんなにまた寒くなるのなら、3月頃にあった思わせぶりな春感という、あのフェイントはやめてほしかった。

今日は外出しないと決めたので、とことんインドアを満喫。溜まっていた龍馬伝は4話連続で見れたし、軽く泣けたし、部屋の掃除はきちんとできたし、納豆も食べたし、衣替え兼一人ファッションショーはできたし(これは誰にも見られたくない)、久々にゆっくりとヨガもしてすっきりしたし。

どこかに出かけたり、誰かと会う週末はもちろん良いけど、たまには一人で部屋で過ごす時間って大切だと思う。ジコマンな1日だ。

テレビをつけたらたまたまやっていた対局で、名人の指の美しさに見惚れて10分ほどチャンネルをかえられなくなってしまった。どれだけ暇だったんだろう・・。

昔、アテネのユースホステルでたまたま相部屋になった男性が天文学を専攻していて、隣のベッドで横になった彼が、薄暗い部屋の中に、白く美しい指で星座の話をしてくれた。話の内容は覚えていないけれど(難しい話だった・・・)、ただただその手の美しさを鮮明に覚えている。私のベッドから見えるその人の指だけが暗い部屋に浮かんでいるようで、その指の先には本当に星が見えるようで、きれいだなぁと思いながら眠りに落ちた。

私の人生で指の美しさを意識したのは、今日と、あのアテネの夜の2度だけだ。随分状況は違うけれど、対局をみてたら、アテネの最後の夜を思い出せたのだから、そうとう印象に残っていたのだと思う。

頭の片隅に強烈に焼きついてる場面やものや人は、どれだけ時間が経ったあとでも突然何かの拍子に思い出されてしまうことがあるから、なかなか油断できない。

 

美容師の友人からメールがあった。忙しすぎて、気づいたらもう4月半ばだったらしい。

ねぇ、私の周りの人達はみんな忙しいようだ。私だけじゃない。

海外生活中のブランクはあるものの、もう7,8年の付き合いになる彼女とは、最近になってから同い年だと判明。

気が合うんだろうなぁというのは感じていたので、思い切ってご飯に誘ったのは数ヶ月前。三十路会と称して、一緒に飲むようになった。7年に及ぶ客という立場から友達という立場への転換。大袈裟かもしれないけれど、勇気を出して誘ってみてよかった。

男性同士はどうか分からないけど、女性は年齢を重ねれば重ねていくほど、新たに友人を作ることが難しくなるように思う。なぜかなぁ。同性の友人の大切さとか必要さを改めて感じるのも今だったりするんだけど。

三十路会。楽しんではいるけれど、気づけばこのネーミングもあと少ししかもたない・・・。

そう、誕生日まであと3ヶ月ちょっとしかないのだ。なんて早いんだろう。

盛りだくさんの三十路。残りの日々はどんな風に過ごそうか。

ゴールデンウィークに九州旅行をすることにした。

行こうか?という話の翌日にはフライトを予約。

この身軽さというか、勢い。

とても好き。

こういう感じは、

ずっと、なくしたくないなー、と思う。

| | コメント (0)

2010年4月12日 (月)

ないものねだりな私達

仕事を早く終えて帰宅したものの、テレビをつけても特番ばかりで見る気がおきず、結局こうしてパソコンに向かっている。

土曜の夜は、仕事後どうしても飲みたくなり、相方に2時過ぎまで付き合ってもらった。自分は恵まれているなぁと思う。

気まぐれで、基本、欲望に忠実に動くところは、永遠に治りそうにない気がする。

カクテルを久々に飲みたくなり、大好きなホワイトレディーを何杯か飲んだ。ジンを飲むと森の中にいる感じで(あまり共感はされたことがない)清々しい気分になる。

ただ、調子にのると、大概翌朝に頭痛をひき起こすので気をつけなければけない。

と、今回も改めて実感。いくつになってもなかなか学ぶことができないなぁ。

 

先週は女友達と京都日帰り旅をしてきた。

寒く、風の強い日だったのだけれど、桜吹雪が雪みたいに美しかった。

Img_1365

京都に行くと毎回食べる生麩料理を頂いて、銀閣寺から哲学の道をずっとぶらぶら歩き、途中で当然お茶休憩をして、大好きな南禅寺を通りぬけて、インクラインの桜並木を、感嘆語満載でまたひたすら歩いた。

河原町で、前から欲しかった風呂敷を買って満足顔になり、先斗町の炭火焼やさんで日本酒片手に語った。

空豆の焼いたのとか、鮭を炙ったのとか、新じゃがの炊いたのとか、そういうのが美味しい。

シンブルな味。

日帰りだけれど、随分リフレッシュできた旅。

やっぱり日常から多少抜け出す時間って不可欠だと思う。

街中そこかしこに咲く桜の木々を眺めていて、本当に日本に帰ってきたんだなぁとつくづく感じた。

日々忙しく、職場と家の往復を繰り返していると、ふとトロントやボストンでの生活を懐かしく思ったりする。

グリークタウンの、粋なおじいちゃんが営むダイナーでのブランチ。

夜中まで飲んではしゃいでのホームパーティー。

バイト先の寿司屋のおっさんの説教。

あまあまのドーナツに、薄すぎるコーヒーのがぶ飲み。

真夏のゲイパレードでした悲惨な日焼け。

ジャマイカポンドの周りを歩きながら眺めた夕日。

今思えば、きらきらと輝く愛しい思い出たち。

でも、あの頃、逆に懐かしく恋しく思っていたものや、景色や、人が、今は手を伸ばせばここにあるんだ。

たとえばこんな桜吹雪とか。

たとえば長い付き合いの友人との他愛もない話とか。

所詮ないものねだりな毎日。

目の前にあるものは当然のように思っているけど、失ってみて、離れてみて、その当然が自分にとっての絶対的なものだったことに気づく。

トロントの友人が、カナダの就労ビザをとることができたらしい。

私が彼女と出会ってから3年が経って、彼女はあのままトロントに住み続けている。一方の私は帰国することを選んで、今はこの日本で当然のように暮らしている。

1年ぐらい前に、私は日本へ帰国することを選択して、彼女は就労ビザを取ることに挑戦することを選択した。

あの頃の私達はお互い先が見えなくて、1年先に自分がどこにいるかもよく分からなかった。帰国することも、そして留まることも、どちらを選ぶことも不安だったように思う。

だけど、彼女は無事就労ビザをとることができたし、私は私で帰国を選択したことに後悔はない。

私達には嫌になるほど、選び続けていく毎日が続く。

その選択が大きければ大きいほどびびるし、不安だし、迷う。

でも一旦決めてしまえば、覚悟を決めれば、そのように進むしかないので、変なプライドも手伝って、選択後に後悔をすることはないように思う。

そして迷ったり、悩んだりしている人の姿はいつも素敵だ。

彼女のトロントでの生活が、私が目の前で見てきたように、これからも素晴らしいものでありますように。

私がもう直接手で触れたり、目で見たり、耳で聴いたりすることのできない懐かしく恋しいものたちを、彼女は肌で感じることができるし、私は彼女が直接手で触れたり、目で見たり、耳で聴いたりすることのできない懐かしく恋しいものたちを肌で感じることができる。

なんでもかんでも持つことはできないから、今目の前にあるものを、自分が選んできたものを大切にしたいと思うけれど、ないものねだりはなかなか止まらない。

シンプルに、今の自分の場所が間違いないと生きていけたら、どんなに楽だろうかと思う。

私はそこまで潔くないけど、いつか彼女と再会したときに、その選択も素敵だったねと思われるような自分でいたい。

ないものねだりの対象になれたら、ちょっとかっこいい気がする。

Img_1398

インクライン。

線路は続く。

きれー、すごいー。そんな言葉しか出てこなかった。

気持ちとは裏腹になんて平凡な言葉たち。

| | コメント (0)

2010年4月 4日 (日)

理由なんてさ。

休みの前夜はどれだけ疲れていても早く眠ろうとは思えない。

逆に、疲れていればいるほど、まだ眠りたくないと思ってしまう。

昨夜もそんな感じで、真夜中を過ぎてからマフィンを焼きはじめた。

ボールに卵を割りいれてほぐし始める瞬間、粉をふるいにかける瞬間、生地の膨らみを確かめる瞬間、甘い匂いがキッチンを満たし始める瞬間。

夜中に過ごすキッチンでの時間が大好きだ。

リビングでは妹がDVDを見ながら夜更かしをしている様子。

RADWINPSのメロディーが聴こえてきた。

切なくて真っ直ぐな歌詞は、私に初恋のあきらくんを思い出されてくれる。

小学校6年生で初恋というのは、一般的に遅いのだろうか、早いのだろうか。そもそも初恋の定義は人によってそれぞれなのかもしれない。

私はとても明確に感じていたように思う。

12歳ながらに、夜眠る前、あきらくんのことを考えると胸が詰まってどきどきして眠れなくなってしまう。

そして、「これが恋というものなんだろうか、・・・私は今、恋をしているんだ!」、と気づいて、自分に興奮していた。

小学生の頃などは、大概の子達が特定の男の子や女の子のことを好きだと言っていたよう思う。

それを思えば、おそらくあきらくんに初恋をしていたのは、唯一私だけだったのではないだろうか(あきらくんには失礼だろうけど)。

あきらくんはアウトローな小学生だった、少なくとも私にとっては。

女の子達とはほとんど話しなどせず、いつも男の子達数人と、どうでもいいような話をして、笑い転げていたような。私には、さっぱりその面白さが伝わらなかった。

そんなあきらくんに、ときどき意地悪を言われたり、ちょっかい出されたり、話かけられることがあって、なぜか気になりだしてしまったのだ。

そこには明確な理由なんてない。

調理実習で同じグループになれてうれしかったのに、当日彼は休んでしまい、私はもてる限りの勇気を出して、彼の家まで実習で作ったドリアかそんなようなものを持っていったのを覚えている。

渡せたことで満足。それで充分。自分の気持ちを分かってほしいとか、知ってほしいとか、それに応えて欲しいなんてことは考えず、ただそれとなく伝えるだけで精一杯。

卒業式に撮った写真にたまたまあきらくんが写っていることに気づいてときめいた春は、もう20年近くも前のことらしい。

 

この間、学生時代のバイト友達と久々に食事をした。

彼女は私より一回り年上の女性だ。

相変わらず良く似合うショートカットに少年のように痩せた長身。赤と黒のボーダーのシャツワンピを着て、メッセンジャーバッグを背負って自転車で彼女は現れた。

隠れ家的レストランがあるから、そこでランチをしましょうと言われたのに、隠れ家すぎて店を探すのに30分もかかってしまった。それを相変わらずだねぇなんて笑い飛ばしながらぶらぶら歩いた。

彼女は、「今年は、とりあえずなんでもやりたいことやってみようと思ったんだよね。まず年越しに好きな人に告白しました。返事ないけどね。それからインドで2週間ぶらぶらしてきたよ。そこで私の目指すべき人を見たの。乞食なんだけどさー、雰囲気が圧倒的なのよ。人に、物をくださいって素直に頼めることってすごいことだと思わない?・・・これからフランス語のレッスンに行くの。」などと、支離滅裂に、かつ飄々と話す。

変わってないねぇなんて笑いつつも、彼女の感じ方や行動が気になって仕方がない。

そこには明確な理由なんてない。

一回りも年上で、かつ対等に話せる女友達は彼女一人だけだ。

彼女の、「やりたいと思うことをやってみるよ」、その覚悟は徹底的に潔い。

  

友人のインド旅話に、再び旅熱が上がってしまっている。

インドは、呼ばれたら行くべきところだよ、と誰かが言っていた。

私はいつか呼ばれるかな。

くるりの『ハイウェイ』が好き。特に前奏が猛烈に好き。

 

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

ひとつめはここじゃどうも息が詰まりそうになった

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること

みっつめは車の免許とってもいいかな

なんて思っていること

俺は車にウーハーを

つけて遠くフューチャー鳴らす

何かでっかい事してやろう

きっとでかい事してやろう

飛び出せジョニー気にしないで

身包み全部剥がされちゃいな

やさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる

全部後回しにしちゃいな勇気なんていらないぜ

僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

手を離してみようぜ

つめたい花がこぼれ落ちそうさ

 

何をするにも、何を好きになるにも、理由なんてどうでもいいのかもしれない。

ほんとにそれをしたいなら、ほんとにそれが好きだと感じるのなら、

理由なんていらない。

人に聞かれたら、

分かったような顔して、それなりにかっこいい理由を、適度に適当な理由を

後付けしてみればいいような気がする。

| | コメント (3)

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »