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2010年1月25日 (月)

花束

スマパンの『1979』は、生まれた年ということもあって、耳慣れた曲。

サビではなく、入りだしが猛烈に好き。

帰り道、桔梗色の空を見ながら歩いていたら突然流れてきた。

 

本日(日付は変わってしまうかもしれないが)2回目の更新。

私のことを、弱い人だときちんと言ってくれたのは、私が覚えている限り2人だけだ。いつだったっけ?かっこつけたがりの私は、直接言われるとびっくりしてしまう。

弱さに気づかれてぎくりとして、ほっとする。

楽しいときは、誰とでもいられる。

ただ、辛いときは、誰かとしかいられない。

だれだってそうでしょう。

みんな弱さを持っていて、それを花束のように大切に抱えて歩いている。

見ようとすれば、もっと早くに見えたのに。

花束は大きくて、エレベーターなんかに入ればその花でみんな埋もれてしまうかもしれない。花の匂いでくらくらしてしまう。

それでもいい。

ただ一人で抱えこんでいてはいけない。

その花束が見えたとき、

ああ、この人もって思えるから。

滅多に見せてくれないし、

滅多に見せられないけれど。

ああ、この人もって思える。

くらくらしながら、みんな歩いているんだって。

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2010年1月24日 (日)

牛ホルモンと体脂肪とデクノボー的生き方について。

夢の中で、creamのwhite roomがやたら流れていた気がする。軽くロックな目覚め。

60~70年代を背景にした物語を読んだからだろうか。

ある意味ロックかもしれないが、最近私生活では焼肉率が高い。しかもホルモン中心。

牛ホルモンとビールの組み合わせって間違いなく体に悪い気がするんだけど、美味しいんだから仕方ない。肉食傾向にあるなぁ。。

仕事帰りにこうやって焼肉にビールでお疲れ様、という流れも昔と変わりなく。

今、自分が携わっているのは人事という仕事だけれど、私の中で描いていた人事っぽい人間はいないようで、強気でフットワークが軽く、受身という感じが全くしない。

同僚と飲みにいくとやっぱり仕事の話になるし、当然愚痴も出るのだけれど、それ以上に、「変えてきたいよねー」とか、「こうしたらいいんじゃない?」とか、「どんなふうに働いていきたいわけ?」とか、「どうなっていたいの?」とか、軽く酔った勢いもあって熱く、そして正直に語り合ったりもしている。

そういう前向きな流れって必要だなぁと思う。だってどうせなら楽しく働きたいし、充実感も味わいたいでしょう。

焼肉くさくなって帰る道すがら、随分正直に言い合って、軽く熱く語ってしまったなぁと一人照れたりする。新人でまだ全く仕事できないのにね。

 

この間、友人と一緒に健康診断を受けた。

一人で受けるより数倍楽しい。社会見学なみに病院内をひやかして回った。子供ですね。

でも結果はやっぱり三十路女性そのもので、数字は正直だと実感。

口に出して追い込まないとできないので、ここで体力づくりを宣言します。

7月までに、体重4キロ減、体脂肪も4%減を目指します。とくに体脂肪やばいです。間違いなく牛ホルモンの影響ではないかと思われる。

年齢を経るに従って、心技体のうち、体は当然衰えていく。それは抗えない自然の流れ。受け入れつつも、軽く抵抗はしていこう。そして心技だけでも、もう少し充実させられたらいいのだけれど。

 

久々に、宮沢賢治の作品集を読み返した。

本棚から出てきたので手にしたのだけれど、これを読んだのはいつだったんだろう。随分昔なんだろう。

「銀河鉄道の夜」、「セロ弾きのゴーシュ」、「よだかの星」、「注文の多い料理店」・・・。

それこそ児童書といったもので、文字も大きく、漢字には全て読み仮名がついている。

小学校低学年から読めるんじゃないかなぁ。

彼の、空とか光とか風とかそういった自然を表す言葉には独特の温かさがある。

「注文の多い料理店」の序文にこんなことが書かれている。

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

子供時代にこうして、すきとおったたべものをたくさん食べられた子は、どんな大人になるんだろうなぁと思う。

どの話を読んでも、一貫しているのが、主人公達の弱さや醜さや愚直さだったりする。詩にもある、デクノボー的性格をもつ人達。こういう人達が関わっていく社会は冷たかったり、ときに温かかったりする。

彼の主人公達の描き方は、同情するでもなく、保護するのでもなく、普通で温かい。

彼のいうデクノボーっていうのは、圧倒的な正直さを持って生きてる人なんじゃないのかなぁと思う。そうやって生きていくのは、とても不器用な気もするけれど、それでいて清清しい。

だからといって、社会で生きていく中で、正直さを貫くってしんどかったりもする。そのバランスは難しい。誰だって自分の中に、デクノボー性と、その逆の利発性みたいなものを持ってるだろうから。

私は「すきとおったほんとうのたべもの」を、まだ見つけていきたいなぁと思う。自分の透明性は、いくつになっても変わらずに持っていたい。

それは、ホルモンを食べながら語るおっさん性と、新しいものにまだまだはしゃげる幼稚性と、そして体脂肪を気にしはじめた三十路性もすべて併せ持った上で、ひとつの透明な女性でいたいという希望からくるのです。

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2010年1月11日 (月)

優しくなりたい、それも徹底的に。

紅白見ながら食べて飲んで、除夜の鐘をつきにいって、大雪が降って、永遠と続くようなお笑い番組をぼんやりと見て、初詣に行って、仕事が始まって、新年会があって・・・。

気づけば2010年も10日が過ぎている。油断してるとあっという間。相変わらず時はびゅんびゅんと流れていく。

みなさん、どうか今年も宜しくお願いします。笑って、転げて、また笑いあうような1年にしましょう。

 

昨夜は、前の会社の後輩夫婦と食事をした。

12月に結婚したばかりの二人。

結婚式にも参列するはずだったのに、例の大阪での研修が急遽決まり、直接お祝いをすることができなかった。

式の写真を見せてもらいながら二人の幸せそうな顔を見て、私自身も温かくて幸せな気持ちになった。

旦那さんが一言。

「結婚はしたほうがいいですよ。することでマイナスになることなんてひとつもないので。」

と、言い切っていた。

素敵だなぁと思う。素直に。

支えあっていくこととか、敬いあっていくこととか、添い遂げていくことって、どういうことなんだろう。

私はなぜ今まで結婚をしなかったのかなと、ふと思うときがある。できるタイミングもきっとあったに違いない。結婚をすることであきらめなきゃいけないこととか、できなくなってしまうことに目が向いてしまって、どこかでマイナスのイメージを抱いていたのかもしれない。

それは、ただ単に好きで仕方がないという理由だけで結婚をするのではないからなんだろうか。

結婚って、お互いだけを見合って、今の今を、息苦しくなるような、不安な、それでいて楽しくて仕方がない時間を過ごすものとは異なるんだろう。先が見えなくて、見るのが怖くて分からないようなものではないんだろう。その人の無防備な寝顔を見て、じゃあ許してしまおうと思ってしまうような、しんどいものでもないのかもしれない。

一緒にこれから『先』を作っていきたいって思えることを言うんだろうか。そう思える人と添い遂げて生きていきたいって感じられたら、彼のように言い切れることができるんだろうか。

そして、こんな風に考えすぎてしまうから婚期が遅れてしまったのだろうか。。

うーん。。

とにかく、いろんなことはさておき、幸せな気持ちになった夜だったということです。

結婚にたいするマイナスイメージなんて最近はなくなってしまったような。というより、それはゴールでもなんでもなくて、生涯の中でのやりがいある挑戦のひとつのような。だったら挑戦してみたいかもという前向きな感じ。

もちろんそれは、幸せな夫婦を見たからだけではなくて、離婚を考えていたり、実際離婚をした友人達の話を聞いたりすることであったり、これまでの自分の経験であったり、そして実際今近くにいてくれる大切な人の存在であったり。そういうことから自分の結婚に対する気持ちが変わっていっているのかなぁと思う。

 

今日は成人の日。

あの振袖姿から10年が経ってしまった。

父の一言、「ヒヤはやめとけ、あとで来るから」の名言から10年でもある。

おかげで?ヒヤの美味さと怖さの分かる30歳にはなったと思うけど、

実際あの頃、私はどんな大人になりたいと思っていたんだろう。

今の私も大人になっているかというとそうでもないような気もするけど、人や物事に対する許容量が広くなったというか、好き嫌いが少なくなったとは思う。

人を見るポイントみたいなのも変わってきたのかもしれない。

優しい人がいい。徹底的に。

徹底的な優しさっていうのは、徹底的に強くてタフだということで。目を見て話していると自然と感じられるような、滲み出るもの。まぁ人によって優しさの定義は異なるだろうけど。

友達が多いとか、羨むような仕事で稼いでいるとか、外見が美しいとか、滅多に怒らないとか、話題が豊富だとか、そういうことじゃなくて。これまで自分を置いてきた環境とか経験から自然と身についてくるような、徹底的な優しさ。

私もそんな大人になれたらいいなぁと最近思うし、そんな人達と一緒にいたいと思う。

そんな2010年にしたいものです。

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