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2009年11月23日 (月)

敢えての決断が出来る人になりたい(三十路の課題)。

10時間以上も眠ってしまった。祝日の今日。天気はとても良いようだ。

部屋の掃除をして、朝昼兼用の食事をとる。これから少し買い物に出て、夜は友人と焼き鳥に行こうと思っている。帰国してから焼き鳥を食べるのは4回目になる。好きなんです。

焼き鳥が好きというよりも、カウンターに座って、のんびりと好きな人達とおいしいものを食べて、時にはキッチンを覗いたり、店員さんやオーナーともおしゃべりをする時間が好きだというほうが合っている気もする。要は『カウンター好き』なのだ。

 

先週木曜から働き始めました。

無事ニート卒業。

といっても最初の1ヶ月くらいはひたすら研修。また新人からのスタート。雑用から開始。軽くプライドは傷つくものの、雑用ですら完璧にこなしてやろうじゃないかと開き直る、この切り替え大事じゃないでしょうか。

10月末に帰国してからいくつかの派遣会社に登録はしたものの、この不景気、選んでいるようでは全く仕事がないようで。さらに、派遣登録に行った帰り道、「自分は派遣社員として働きたいんだろうか。登録して待っている時間がもったいないし、どうせ就職するのなら、直接、企業と私との契約で働きたいんじゃないのか。」と自問自答の末、派遣社員として働くことはやめた。

就職活動中には友人達からアドバイスを何度ももらったし、人生初のハローワークにも行っていろんな人達を見て、随分社会勉強になったと思う。一人で平日昼間に職探しをしたりしていると、嫌でも自分の価値に対して向き合うことをしなければいけなくて怖くなったりもした、「私にできることって何だろう」。新卒以来の集団面接やら、筆記試験やらも辛かったように思う。

友人の一人には、「仕事なんて結局は何やっても同じでしょう。給料はいいの?給料が安いんだったら、自分のペースで仕事を回せるくらいの余裕がないとだめだし、もしくはまわりの人達のレベルに必死について行くように努力をし続けなきゃいけない、自分の能力が絶対に高まるような職場じゃないと意味ないよね。」、なんて厳しいようなことも言われた。

結局私が選んだ仕事は某語学学校の運営センター、人事課での仕事だ。

ネイティブ講師達の勤怠、給与管理、日本での生活サポート、研修などを行うらしい。

自分が海外で生活していく中で、随分現地の人達に助けられた。それを感じていく間に、日本に帰ったら、今度は逆に日本に来る留学生や外国人労働者の手助けをしたいと思うようになった。それを考えれば、今回の仕事は多少なりともやりたいことに適ってはいる気がする。給料は安く、自分に特別な技能が身につくとは分からない。その友人に仕事が決まった報告をしたら、「まぁいいんじゃない?」と一言。まぁ、いいのだ。私がやりたいと思ったのだから。

日記を見直していたら、ちょうど2年前の先週木曜がトロントの旅行会社で働き始めた日だった。2年後のその日、また違う職場で働き始めた。新しい場所、新しい人々、新しい仕事。また始まる。

突然だけど、今回の職探しで、自分の短所に気づいた。帰国してこの3週間、いろんな人達と話してる中で。

きっと私は自分で決断をすることができない。というか、決断はするけれど、実現可能な決断しかできず、あえて難しかったり、負けそうな方を選ぶことができない傾向にある。まわりの人達に促されたり、巻き込まれたり、影響されたりして、やっと決断ができる気がする。びびりなんだろうなぁ。

三十路になってやっと気づくことができたのだからよかったのかな。自分は強いと思っていたけれど、弱くて怖がりだ。怖がりだから誰かと争ったりするときに全力を出してでも上に立とうとしてしまう。小型犬が必死でほえ続けるように。本当に強い側の人達はそこで折れられる人達なんじゃないかと思う。

9月末に前職をやめて、1ヶ月の旅行、そして3週間の就活、こうやって時間をかけて自分と向き合うことができたのは、この忙しい世の中にあって、ラッキーなことなのかもしれない。

また来週から研修の日々が続きます。そして3日後からは3週間の大阪での研修に参加しなければいけない。営業魂を叩き込まれるのでしょうか・・・。多少不安だけれど、まぁきっと大丈夫。自分が怖がりだなぁと分かっているのは逆に強さにも繋がるだろうから。

だけど、一人大阪の研修漬けに病むかもしれないので、大阪にいらっしゃる方がいれば、ごはんでも行きましょう。では、行ってきます!

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2009年11月 4日 (水)

何を食べても美味い。和食万歳。

帰国して1週間が経ち、時差ぼけがようやく治った。

今日は随分青空がきれいで、日差しは暖かいのだけれど、部屋の中が寒くて仕方がない。北米のセントラルヒーティングに甘やかされたツケが回ってきているのかもしれない。

だけど気持ちはすでに日本に戻ってきていて、逆に北米での2年半が随分前のことにも感じられてしまうから、やっぱり母国というのはすごいなぁと実感する。

それでもこの1週間で、この2年半の間に起きた周りの環境の変化を改めて目の当たりにすると多少困惑もする。

母から聞かされる従兄弟達の結婚やら出産やら。友人達の独立やら昇進やら。

自分と同じように、まわりの人達にとっても時間は平等に経過しているわけで、当然何かしらの変化はある。その変化に少しびびりながらも、やっぱり刺激を受けるから、私も止まってはいられないなぁと思う。

確かに北米での生活や景色や人々は懐かしいけれど、帰ってきてよかった。

帰国してすぐに母方の祖父に会った。約3年ぶりに見る祖父はさらに少し小さくなったように思えたけれど、笑顔で、「香織ちゃん帰ってきたかぁ。よかったなぁ。もうここにおりんさいよ。よかったなぁ。」と言った。

その顔を見て、私は心配かけていたんだなぁと少し申し訳ない気持ちになり、同時に帰ってきて良かったと思えた。

祖父は昔からいつも会いにいくと読書をしているか、畑に出ていた。この日も取れたてのねぎやほうれん草やサツマイモ、米をくれた。祖父の爪はいつも畑の土が入り込んでいて黒いのだけれど、私はそれを見るのが好きだ。あの土の匂いも好き。

俳句が趣味で、毎日のように出かけて近所の人達と句を読み、冊子も発刊している。新聞で賞を貰ったんだと話し、「こんなに遊んでばっかりいたら、ミズエ(亡くなった祖母)にまた叱られるなぁ。忙しなく動き回るのはやめなさいって言われるわ。」と笑って言う。今でも欠かさず毎朝、毎夕、祖母のお墓へ通うようだ。

「僕はね、まだこうやって野菜を作ってるでしょう。まわりはもう歳だからやめなさいっていうけどね、僕は体が動き続ける限り、ずっと少しでも作ろうと思っとるよ。お小遣い程度にしかならんけど、こうやって作ったものが市場で売れるとね、それは嬉しいもんだよ。香織ちゃん、なんでもいいよ、どんなことでも長くね、とにかくやり続けると、それがなんとなくいつか形になるもんだからね。僕は今やっとそんな気がするからね。」

私は祖父みたいな人が日本人の代表でいてほしいなと思う。

帰国して、私のことを待っていてくれた大切な人達もいる。会いたかったと言ってくれる人達がいるのはなんて幸せなんだろう。有り難いなと思う。

アメリカで、「あと3年ビザを延ばしたら?」と言われたとき、少し迷う気持ちがあった。でも帰国を決めたのは、やっぱり自分の居場所は日本だと思ったからだと思う。2年半海外にいて、そのことに気づくことができてよかった。きっとあともう3年アメリカにいることになっていたら、おそらく日本へ戻ることはなかったと思うから。

それにしても仕事をしていないことが、逆に正直つらい。

今はまだ友人と久々に再会したり、家族と過ごしたりで時間が過ぎている。長らくしていなかった料理をするのも楽しいし、半分物置になっていた自分の部屋の大掃除もできた。この間は母親と庭の柿狩りをしたりした。近所の人達に柿をあげたら、かわりにリンゴやら缶ジュースやら菓子パンを貰ったりして物々交換みたいになっているらしい。

時差ぼけも治ったことだし、職探しを始めなければ。昔は何がやりたいんだろうって悩んでいたけれど、今は私に何ができるんだろうって思う。

転職サイトや派遣会社に登録を始めた。履歴書や職務経歴書を書かなければいけないらしい。面倒くさいけれど仕方がない、やります。面接だっていくつも受けてみせましょう。

部屋の片付けをしていたら、文学全集みたいなものが出てきた。志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいる。彼の唯一の長編小説らしい。ゆっくり読んでいるが、読み終わる頃には仕事が決まるといいなぁ。

そういえば、日本へ帰ってきての1番の感動。

サランラップの強さ、再確認。

あれは日本が世界に誇れる作品のひとつだ。

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