ペルー・センチメンタル・ジャーニー(リマ再び編、最終章)
トロントの滞在もあと2日だ。
昨日は以前働いていた寿司屋さんで食事。午後6時に入店して、店を出たのは午前1時過ぎ・・。最長記録。居心地が良くてついつい長居をしてしまった。前回お邪魔した際に泥酔してしまったため今回はほどほどに。二日酔いにならない程度においしいお酒とお寿司を頂いた。
次連絡をする時は、筋の通ったいい男を連れてくるようにボスから約束をさせられた。いつになるか分からないけれど・・・約束を守りたい。
旅日記はこれで最終章になる。長かった。
<10月12日>
お昼過ぎに寝台バスは無事リマに到着。14時間以上に及ぶ長距離バス。
深夜トイレに行きたくなって席を立ったのだが、運転が荒すぎてトイレにたどり着くまでに酔いそうになった。用を済ませた後便座から立ち上がった瞬間カーブにさしかかったらしく、急カーブにあわせて頭部を壁に激突、くらくらしたまま再び眠るという感じ。絶対に体に良くない。
リマに着いたらそのままホステルへチェックイン。今夜深夜発の便にてボストンへ戻るが、それまでにシャワーを浴びて少しでもベッドに横になりたいということから。
メールをチェックすると、日本の親友から入っていた。安否確認とともに、日本帰国したらその週末に夜遊び、飲みの予定を入れているとの報告。日本で夜遊びとか・・・本当にくらくらしそうだ。それでも彼女の笑顔が頭に浮かび一人にやにや。早く会いたいなぁ。
同部屋にイスラエル人のガリという女性がいた。一人で3ヶ月間旅を続けているらしい。コロンビアを絶賛。セザールもそうだったのだが、南米でコロンビアの旅を絶賛する人が多い。危険というイメージがあるが、ブラジル、ベネズエラに比べればまだ安全で人も素朴で優しく、自然の美しさが半端ないらしい。次の行き先はコロンビアに心揺れつつある。
軽く昼寝をしようかと思ったが、なぜか眠れず、結局読書をしたりしてのんびりした後は再び街をぶらぶら。たいして見るところもないため、ビーチまで歩いた。
夕暮れが近づき、空にはハンググライダー達の姿がちらほら。美しい光景だった。
これがペルー最後の夕日だと思って、一人しみじみ眺めた。
夕食は奮発してパエリアと再びピスコサワーにて乾杯。やっぱりこのカクテルは強く再びほろ酔い。
フライトは深夜12時半発。少し早めにホステルを出発し空港でぼんやりすることにした。
<10月13日>
フライトは少し遅れたが無事リマを出発。
旅の最中はほとんど日本人旅行者を見なかったのだが、空港ではパッケージツアーに乗っている人達や、いかにもハネムーンというカップルの姿もちらほら見た。彼らは一体どこにいたのだろうか。日本と南米は時差がかなりあり、さらにこんな標高もあるのに、、1週間のパッケージツアーなどが存在するのだから日本人の忙しさとタフさを改めて感じてしまう。
機内での私の隣りに座っている女性も日本人だった。
私は彼女(キョウコさん)もすっかり日本からの観光と思っていたのだが、実際話しをしてみると全く違っていた。
キョウコさんを初めて見たとき、私の母親と同じくらいの年齢かと思ったのだが、実はすでに67歳とのことだった。肌につやがあり、背筋がぴんと伸びていて、着ている洋服も動きやすくてセンスの良いものだった。
キョウコさんはJICAのシニアボランティアに現在参加をしていて、2年間のボランティア期間の折り返し地点に差し掛かり、一度日本で身体検査を受けるため帰国するとのことだった。アレキパで現地の人達に洋裁を教えているとのことだ。
彼女は明るく、いかにも意思が強そうで、そして心から今の自分の仕事を楽しんでいるようだった。JICAへの参加は70歳まで可能であるため、このアレキパでのボランティアが終了したら、また他の場所で2年間のボランティアをする予定であること、昔からカナダやメキシコなどの各国で勉強したり働いたりしていたこと、今も独身だけど、自分の今の生活に満足していることなど話してくれた。
そしてなぜか、「香織さんも是非やってみなさい、あなたなら絶対に通るから!いい経験になるわよ。あなたB型でしょう?すぐ分かった。JICAに参加する人、B型の人が圧倒的に多いのよ!」などとやけに薦められたのだ。
私はJICAがどうのこうのというよりも、彼女の明るい表情が素敵だなぁと思いながら彼女の話を聞いていた感じだ。
往路と同様にアトランタを経由してボストンへ到着したのは、お昼過ぎだった。
ボストンでの生活を終了して、そしてこの短いペルーへの旅に出たのだが、この旅を実行してよかったと思う。自分の気持ちを切り替える良い時間となった。
現地の人達、私と同じように旅をしている人達、日本人。さまざまな人達と出会って、少しだけでも時間を共有して、そして話ができた。
当然いろんな生き方がある。いろんな生き方があっていいんだ。
この間読んだある本のあとがきに以下のようなことが書いてあった。
『目に見えるものの不確かさの中に目に見えないものの確かさが隠され、目に見えないものの不確かさによって目に見えるものの確かさが保障される』
なんだか頓智のようだ。でも、きっと簡単に言えば、要はこの世界なんて、結構これでも完璧に完成されたものなのかもしれない、ということなんじゃないだろうか。
どこかで満ち足りて消費尽くされているものが、どこかでは不足して渇望されている。
良くも悪くも全てはきちんとバランスが取られているのだと思う。
幸せか不幸せかなんて、それは人によって定義が違う。そしてそんなものは日々変わっていくんだなぁと思う。
こうでなくてはいけないなんて生き方はないようだし、そんなに大袈裟ではなくても、こうでなくてはいけないやり方なんてない。
小さなことでしょっちゅうくよくよするのだけれど、そんなんもひっくるめて、結局はたいしたことないのかもしれない。
始めにも言ったかもしれないが、このタイミングでこの旅をしたこと。南米に呼ばれた気もする。そういえばケーナの響きがとても懐かしく聴こえた。
グラシアス、そしてチャオ、ペルー!!
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