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2009年6月29日 (月)

未成年、そして今。

今日は起きたら、なんと午後3時を回っていた・・。

妙にいろんな夢を見て結構眠ったなぁと思って起きたけれど、ここまで眠り続けるなんて10代のころも滅多になかったような。

なんだかとても損した気分にもなったので、無駄に部屋を掃除して洗濯して曇り空の下を歩いてみたりした。ちなみに起きてまだ一言も発していない。一人暮らしってこんなもんだ。

確かに眠ったのが遅かった。午前5時近くだったと思う。

友達と飲んで帰宅したのが1時過ぎ。その後そのまま眠ればよかったのに、友人から借りた『未成年』を読み始めてしまったのだ。そして止まらなくなり、結局最後まで読んでしまったという結果。

こういうエネルギーをもっと他のものに使えていればいいのにと思う。

軽く酔っていたのも手伝って、ところどころ自分の感情が流出して、また涙腺が壊れてしまいながら読み終えた。

『未成年』がドラマとして放送されていた頃、私も未成年で、というより主人公達(18歳前後)よりももっと幼く、ドラマの内容に惹きこまれながらも、見てはいけないものを見てしまったような、少し後ろめたい気分になったことを覚えている。それでも私が見た中でも強烈に印象に残っているドラマだ。

こうやって自分が、主人公達とその親(大人たち)の間になってみると、あの頃の自分とは違った冷静な共感を持って読み終えることができるから不思議。

自分が高校生だった頃、その大きさは別にして同じような疑問を持っていなかったかなぁと思う。

学生生活を振り返ると間違いなく高校2年生の頃が1番楽しかったように思う。ただひたすら女子同士で騒いで毎日笑ってたような気がする。

一方で、学校や、親や、友情や、将来やそんなものに対する不安や疑問や矛盾を感じながら意味もなく過剰に反応してしまったり考えることもあったと思う。

書き出すときりがないほど馬鹿でくだらないことを毎日していたけど、それと同じくらい楽しくてかけがえのない日々。

『未成年』は、そんな10代だった日々を思い出して、こうやって大人になっていく自分を未成年だった頃の目で冷静に見届ける機会を与えてくれる。

『俺たちも永遠じゃない。やがては誰もが死んでしまう。ただ花と違うのは考えることだ。もっとたくさんの栄養を吸収したい。もっと太陽の光を浴びたい、できれば自分一人で独占できたらいい。嵐が来て、他人が流されても、同情はするが、助けることはない。俺達は同情が好きだ。一円も損はしないからね。俺達は他人の不幸が好きだ。自分はそれよりましだと慰められるからだ。俺達は他人の悪口が好きだ。自分の醜さに鈍感だからだ。俺達はいつもいつも自分と他人を比べている。いつもいつも小さな不満がある。いつもいつも孤独で、自分の無力を嘆いている。』

みんなが思っていることかもしれない、でもこうやって声に出して言えなかったんじゃないかな。

そんなこんなで起きたのは午後3時過ぎだったのだ。

こんな部分だけ若返っても全く意味がない。

 

昨日は友人とペディキュアに行ってきた。

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人につま先や指先を触られるのはなんて気持ちがいいんだろう。

お洒落とかそういうことの前に、この気持ちよさでしょっちゅう通ってしまいたくなる。

私の親友がネイリストとして自分の店を始めた。有言実行ってこのことだ。彼女がスクールに通いだした頃から見てきている。帰国したらすぐに行こう。

10代、いやそれ以上前からの付き合い。未成年のあの頃から全く変わっていない関係。かけがえのないものだと思う。

あの頃、不安に思ったり、焦りを感じたり、矛盾を抱いたりしたことは、今でも続いている。それでもなんだかんだとやり過ごしてきている。あの頃悩んだりした時間は全く無駄ではなかったんだと思う。あの頃一緒に過ごせた人たちとは今でもこうやって繋がっていられるから。

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2009年6月23日 (火)

梅雨のようなボストンで啼く烏たち。

長い冬の後に来た一瞬の春が終わって夏が来ると思いきや、毎日のように雨が降り続いている。まるで梅雨。ここ1週間くらいまともに青空を見ていない。

それでも先々週末に行われたプライドパレード(ゲイパレード)は、さすがにゲイパワー、完全な青空。真夏日でした。

トロントの無法地帯的なプライドフェスティバルほどではないにしろ、ここボストンでもやっぱり行われるパレード。

おかまの同僚に連れられて女子友達と一緒にパレードを”見る”ために出かけたのに、なぜか流れで”見られる”側になってしまった。

パレード前には「しらふでは乗り切れないわよっ!」といって、昼間からテキーラのダブルショットとビールを一気に飲まされ、酔っ払ってトラックへ。その後はもう完全に観客のさらし者状態。

まわりから見たら完全にレズビアンカップル達だったんだろうなぁ。私達にむかってアピールしてくるレズビアンの子達に手を振りながら、微妙な気分になったのは言うまでもない。

まぁ楽しかったからいいや、なんて忘れた気になってたら、

翌週のゲイサイトに完全に酔っ払ってる自分の写真が掲載されているのをおかま同僚に発見された。他の同僚は後ろ姿だったのに。私はなぜかこういうのにはまることが多い。

調子に乗って真っ赤に日焼けしてしまった肩の皮がむけて、あぁまたやってしまった、なんて思っている。何も気にせず焼ける年齢でもない。・・それにしてもテキーラはおいしい。

北米へ来て3年目の夏。今年の夏もプライドパレードで幕を開けたような気がする。

 

おかま同僚の話を聞いていると、ストレートな私とは全く考え方が違うところもあって、彼からの私という女に対するダメだしには閉口するところも多々あるが、時々はっと関心するほど女らしい面が彼にはあり、それはそれで勉強になったりもする。

彼から初の食事デートをする店の決め方を聞いた。

① メインが30ドル以下のところ(ご馳走してもらう側の立場にたつ)

② カジュアルすぎず、でも高級すぎず、雰囲気のあるところ

③ どちらかが待つことになってもいいようにバーカウンターが大きいところ

④ 会話につまっても沈黙にならないように、ライブミュージックなどがあるところ(ただしうるさいと品がないのでダメ)

⑤ 家から歩いていけるところ

なるほど、と思うけど、⑤は必要なんだろうか??

と言ったら、「デート前に部屋を掃除しないような女だからいけないのよ、万一を考えないの?」と、またダメだしをくらう。・・・そうだろうか。

彼とは大して普段はつるまないが、前飲んだときに、「ここに眠りたかったの。だからおかまになったのよー」なんて言われた。

『ここ』とは、男性の肩甲骨と胸の間の窪みの部分。あの三角地帯だ。

なんていう名称なんだろう?

でも確かにその部分に惹かれる気持ちは良く分かるので、なるほど、なんて妙に納得してしまった。

男だろうが女だろうが中間だろうが、相手にたいして求めるものには大して差がないように思える。

 

ゲイパレードでおかしなテンションのまま大学時代の友人を空港へ迎えにいった。感動の再会のはずが軽く酒臭くてすみませんでした。

彼女は、ボストンに住む親戚と私を訪ねて、新型インフルが騒がれてる日本から(まだ騒がれてるのか?)、わざわざやってきてくれた。

30歳前という立派な大人の女?であるはずの私達も、会えば大学の頃と話していた内容とほぼ変わらない話で深夜まで盛り上がる。

変われない私達に嘆きつつも、変わらない私達でいられることに万歳。

 

ボストンに1週間しかいられなかった友人が去った後、

親友からのメールが届いていた。

彼女の気持ちが息が詰まるほど分かって、同時になぜか同僚の話していた三角地帯がふとよぎって、思い出してしまった。

 

『三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい』

 

この都都逸を初めて目にしたとき、分かりたいような分かりたくないような、少し怖い気分になったのを覚えている。

何かと騒がしい世の中なんて捨てておいて、ゆっくりあなたと眠っていたい。うるさい世間や、噂や、常識や、しがらみや、そんなあらゆる煩いもの全てを気にせず、暫く二人でいたいのだ。

そんな意味なんだろうか。

今となっては、

こんな気持ちになったことがないような人は寂しいと思う。

男でも女でも中間でもこんな気持ちになったことがあってほしいと思う。

一方で煩い烏たちを気にせずに生きていくことなんて難しいと分かっている。

 

早くこの梅雨が終わればいいと思う。

友人が私の誕生日に私が着るコスチュームを用意してくれてるらしい。

どんどん大概なことは驚かずに受け入れられるようになってきているものの

どんなことをされるのか最近多少心配ではある。

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2009年6月 8日 (月)

そこに距離は関係ない。

6月の日曜日。

友人からの電話で起こされてぼんやりしていていたけれど、あまりにも天気が良かったので、ジャマイカポンドのまわりを散歩してきた。

足が白すぎるので、少しでも日焼けができたらいいと思う。

気分を変えたくなってきた。またショートカットにでもしようかなぁ。

ボストンへ来て8ヶ月が終了して、ということは、ここでの生活の3分の2が終わったことになる。

帰国した後のことも時々考えて、不安になることもしばしばだけれど、こうやって気持ちのいい日曜を過ごしていると、これからもきっとなんとかなるでしょうと、やっぱり随分楽観的な気分になれるので、自分でも得な性格だなぁと思う。

 

つい最近、以前日本への航空券を手配した日本人老夫婦がアメリカへ戻ってきて、そのお土産話をするために私を訪ねてくれた。

フルート演奏者のおじさんなのだけれど、趣味で描いている絵をプレゼントしてくれ、浅草のどこどこという旅館が素晴らしいだとか、そこに泊まるならあの喫茶店のモーニングがいいだとか、奥さんと旅行中1回も喧嘩しなかったんだよ~、だとか、終始笑顔で話しをしてくれるものだから、私も気持ちがゆるゆると温まってしまった。

こうやって自分がした仕事に対して、きちんと反応が返ってきてくることなんて10回に1度くらいのものな気がする。たいていは機械的な作業をしてしまったり、淡々と仕事をすすめるだけだ。

1度のこうした素敵な反応で、随分仕事に対する姿勢みたいなのが変わったりもする。単純だけれど、やっぱり仕事って効率だけじゃないんじゃないんだなぁと思う。

航空券の値段が随分下がっている。もちろんそこには燃油代の廃止だとか、不景気のあおりだとか理由があるのかもしれないけれど、世界は随分狭くなっているのかもしれないと感じる。

飛ぼうと思えば、少しのお金と時間さえあれば、日本からヨーロッパだって、オーストラリアだって、そしてこの北米にでもすぐに来られる。

大学の同級生だった友人が来週ボストンへ来る。

彼女とは何年も会っていないけれど、たまたまこのボストンに親戚のお姉さんが住んでいるため、私にも会いに来てくれるらしい。

学生時代から可愛らしい子だったけれど、もう今年三十路を迎える私達はどんな話ができるんだろう。きっとあの頃と変わらない話で盛り上がるんだろう。

同じ日本に住んでいたって、会おうと思わなければ年に1,2回しか会わない人たちもいる。だから結局その理由は、距離じゃないと思う。

会いたい人には自分から会いに行かないといけないなぁ。

そこには距離だとかそんな物理的なものは言い訳にもならなくて、気持ちだけで先走れる。それができたら、きっともっと世界は近くなる。

 

6月のボストンは夕立が多い。

トロントにいたときも随分突然の雨に降られた。

あの、ポツンと一粒目が頬にあたってから、通りがいっきに雨で塗りつぶされる時間が大好きだ。

今年の夏はどんな夏になるんだろう。

会いたい人に十分に会っておきたいと思う。

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