« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月28日 (木)

損得と善悪。

先週末、トロントへ再び行ってきた。

この場所には学生時代の留学を含めると合計2年半近くも滞在していたことになる。

飛行機であの空港へ着陸する瞬間は毎回、いろんなことを思い出したり、いろんなことを考えたりで、窓の外を見ながら呼吸をするのを忘れてしまう。うれしいんだか悲しいんだか分からない不思議な気分に胸が詰まって苦しい。

今回は飛行機からはっきりとナイアガラの滝が見れた。

こんなに胸を詰まらせて到着するのに、着いてみれば全く変化のない街で、あいかわらずいろんな人種の人たちが勝手に生きている。そして私は少し気が抜けて、拍子抜けして、そして心からリラックスできるのだ。

 

前日ほとんど眠らなかったせいなのか、歩きまわって疲れたのか、それとも久々に再会した街や人にリラックスしていたせいなのか、

1年ぶりくらいに、完全に酒に呑まれてしまった。

トロント滞在中にバイトした寿司屋さんへ友人と行ったのだけど、カウンター席に座り、完全におまかせで一品料理やら寿司を食べつつ日本酒を思うままに飲んでいたら、一人で一升近く空けていたらしい。

前にもここで書いたけれど、この店のボスは本当にチンピラで強面で職人気質で、私は日本でもあそこまで古き良き?おっさんに会ったことがない。

短期間しか働いていない私をなぜかひどく気に入り、かわいがってくれたのだけど、酔っ払った私は彼にさんざん我儘を言ったあげく、ソファで眠ってしまったらしい。

「らしい」というのは、もちろん記憶が途切れ途切れだからということ。

翌日奇跡的に頭痛はなかったものの、胃腸は5%くらいしか機能していなくて、一緒にいた友人がおいしそうに食べるブランチを見て恨めしく思ったけど、完全に自分のせいなので何も言えず過ごした。

1年に1回くらい、こうやって酒に呑まれるときがあるんです。

でもそれは決まって大好きな人たちに囲まれていたり、落ち着ける場所にいるときなので、べろんべろんの私を見れたら、それは私が心からリラックスしてるということなので、大目に見てほしいと思う。

 

酔って記憶は途切れ途切れだけれど、寿司屋のボスが私に言ったことは覚えている。

『損得で考えるなよ、ろくなことがない。善悪で決めるんだ。』

これは確か、仕事選び(探し)の話のときに、ボスが私に言ったことだったように思う。

常に矢面に立ってきただろう人が言うから素直に聞けた。

給料だったり、場所だったり、待遇だったり、そんなので決めるんじゃない。

自分がほんとにやりたいことなのか、好きなことなのか、誇りが持てるのか、そこで自分の力が生かせるのか、そういうことで決めるんだ。

きれいごとは言っていられない。損得で考えていかなきゃいけない場面だってもちろんたくさんある。でも、そうやって完全に開き直りたくない。いつだって。

けど私は、損得で考えてしまうなぁ、とくに最近。先を先を考えて、リスクのより少ない道を、実現可能な道を、自分自身ではなく、他の誰かが認めてくれるような道を、選んでしまおうとしているのかも。

損得で動くことのほうが随分楽な気もする。だって計算しながら進んでいけるから。

善悪で動くことはエネルギーを使うし、そこには何も保障がない。でもそんな自分の方が好きでいられる気もする。

自分のやることなすことを誰もから認めてもらおうとするなんて無理。だったら、自分の満足できるやり方で、生き方で、それを自分の本当に好きな人達が理解して応援してくれたら、もうそれでいいんじゃないか、とも思う。

日本へ帰国したら、今度はどうやって食べていこうかと最近考える。なるべくなら損得なんて考えず、自分の持ってる少しの知識と経験が、誰かの役に立てたらそれでいいのかもしれない。善悪で判断したいと思う。

こんなことをぼんやり考えながら過ごした週末だった。 

 

今回のトロントでの収穫と発見。

最近ぐるぐる考えすぎていたけど、少しクリアになった頭。

半年ぶりに食べたおいしい寿司(ただし途中から味覚なし)。

何でも話せる女友達の重要性の再確認。

自分の日本酒許容範囲(多分)。

おっさんの意見にもたまに耳を傾ける重要性。

 

Cimg4001

| | コメント (4)

2009年5月18日 (月)

最近のできごと等等

久々のブログとなってしまいました。

特別忙しいとか、何かあったということでもなく、ただの怠慢なんだけど。

長い冬が終わり、ボストンにも春が来ています。

家の前に広がる植物園の木々や花々が美しすぎて、調子にのってぐるぐる歩いています。

毎朝地下鉄の駅へ向かうのにも、わざわざ植物園の中を突っ切ってます。

スニーカーで踏みしめる緑の感触が気持ちよくて、あの長い冬を越して、やっと私の住んでいるこのエリアが大好きだと毎日感じられるようになりました。

そして、ニューヨーク、ワシントンDCへも小旅行へ出かけています。

来週末は連休なので第2の故郷トロントへ帰ってきます。

こうやって書くと出かけてばかりのようだけど、平日は真面目に家と会社の往復を繰り返しているのでご心配なく。

 

今週末は久々に遠出することもなくボストンで過ごしてます。

金曜夜は友人の家で、手巻き寿司&モヒートパーティー。

異色の組み合わせだけれど、日本酒じゃないのもそれはそれでよかった。

南米に住んだことのある友人の手作りモヒートは、夏を感じられる最高の飲み物だ。

そのまま友人宅に泊まり、土曜半日出勤した後、再び集合して街をぶらぶら。

ボストンは街中にも本当に緑が多い。あぁ、緑が大好きだ。

チャールズ河沿いをずっと歩いて、芝生で寝転んでどうでもいい話をまたして、かわいい店をひやかしながらぶらぶらする。

そして夜はまた軽く飲んで食べる。ワインとムール貝ははずせない。

こうやって考えると、胃と肝臓の合う友人というのは生きていく上で欠かせない。

人は生きていくには当然食べていかなくてはいけないわけで、その大切な欲求を満たす行為を分かち合いながら過ごせる人々の存在は、大袈裟ではなく、不可欠なものだ。

たまに誰かと一緒にメニューを眺めていて、「なぜそれを選んじゃうの?」と感じることもあり、それは少し私を悲しくさせる。テンションが少し下がる。全く難しい女です。

 

今日は朝から掃除、洗濯、グローサリー購入と一人ちゃきちゃきと動く。

ストロークスとかを大音量で流しながら。

あぁ、夏のロックフェスに行きたい。あの、開放的でハッピーな雰囲気は野外だから感じられるんだろう。来年の夏は絶対行ってやろうと思う。

部屋は隅々まで片付けられて、自分の、この時々みせる集中力というか行動力を自画自賛してみたりする。常にこのくらいきちんとしているのが1番いいんだろうけど。

そういえば、先週バスに乗りこんだら、女性ドライバーが乗客に切れていた。

なんだろうと聞いていると、どうやらその乗客が人種差別的なことをずっと言い続けて周りを不快にしているようだった。

結局10分ほど過ぎると、切れたドライバーは運転をやめてしまい、私達他の乗客達も一緒にバスに残されてしまった。

その間も例の乗客は話しをやめない。酔っているのか精神に異常をきたしているのか。

少しすると警察が現れ、彼をなだめてどこかへ連れて行き、やっと私は帰宅できた。

・・・人はどのタイミングであんなに大きく独り言を言うようになってしまうのだろうか。

自分では頭の中で話しているだけど思っているのだろうか。話し相手がいなくて寂しいと思っている間に、相手がいなくてもとりあえず話しだしてしまうようになるのだろうか。

思えば、私も今日はまだ誰とも話していない。

あ、スーパーで「Good」って言ったかな(How are you doing?の返事で)。

あぶないです、私、ときどき部屋で独り言とか言うし。声出していないと心配になって、とりあえず声を出してみたりするし。

 

近所の緑の美しさの話に戻るけど、散歩をしていると犬を連れた人々としょっちゅうすれ違う。

その犬達がいちいちかわいすぎて、私は、今、重度の「犬を飼いたい病」にかかっている(もちろん現実的に考えれば、ペットなど飼えないのだけど)。

それを同僚に話すと、「絶対に犬は飼っちゃだめだよ、結婚できなくなるよ。」と言われた。

どうやらペットでひとり身の寂しさが十分紛れてしまうかららしい。

彼女いわく、サルサとスキューバダイビングをやる女性も結婚できないらしい。

・・・分からなくもない。

私の妹達はサルサやスキューバをやるのだけれど・・・。一家そろって嫁に行き遅れるのは申し訳ないので、ひとまず犬はひとり身の状態では飼わないと決めた。

 

今夜はまた近所の友人とスポーツバーに行ってきます。

彼女、バスケ狂なので。

そういう私は、これだけ北米生活をしているにも関わらずルールも微妙。

スラムダンクは大好きですけど。

だって、選手全員おんなじ顔に見える・・。覚えられません。 

まだ試合開始まで時間があるので、少し本でも読んでから出かけようかと思う。

「竜馬がゆく」をもうすぐ読み終わってしまう。

この間、地下鉄の中で、竜馬のおりょうに対する気持ちが変化していくところを読んでいて、軽く泣いてしまった。本を読みながらここまで感情移入をできてしまう自分を、自分でも気持ち悪いと思う。

これも同僚いわく、歴史にはまっている若い女性達のことを「歴女」というんだと教わった。

いちいち忠告してくれる同僚を持った私は、結構幸せ者なのかもしれない。

確かに、歴史小説を読みながら犬の散歩をする女性と、一緒に住みたいと思ってくれる人は相当な変わり者だ。

 

こんな感じで毎日は過ぎて行っている。

小さな発見は日々溢れている。

| | コメント (2)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »