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2009年4月11日 (土)

日々蕾の状態を見守る私。

夕食後にアイスクリームを食べることが習慣化している。

まずいなぁと思いつつも手はオートマティカリーに冷凍庫へ伸びる。

アイスクリームの入っていない冷凍庫なんて、

涙も馬鹿笑いも嘘もない恋愛のようなものだ。

要は物足りない。

要はそれほど私がアイスクリームを愛しているということだ。

 

今週は仕事が忙しかった。

かわいらしい素敵な夫婦、人の話を全く聞かないおばちゃん、何が言いたいのかイマイチつかめない女子学生、私を自分の秘書かのようにこき使うおじさん。

さまざまです。

パソコンをたたき過ぎたのか、左手首が軽く痛い。

パソコンの画面を凝視しすぎたのか、また偏頭痛が発生。

午後4時を過ぎると、しょっちゅう言葉をかむ。

それでも様々な人たちと接することができるのはいいことです。

嫌味なお客さんにストレスを感じていても、

帰国したお客さんがわざわざ持ってきてくれたお土産がうれしくて、

もう少し頑張ろうかなぁと思う。

単純。

前向きに生まれてよかった。

明日は友人が日本出張から持ち帰ってきた日本酒でパーティー。

平日仕事を頑張った分、休みを楽しめる気もする。

 

そういえば、

名古屋ボストン美術館にて、The Museum Fine Arts Bostonとの提携10周年を記念し、

4月18日からゴーギャンコレクションが開催されるとのこと。

名古屋はもう随分暖かいんだろうな。

お暇があれば足を運んでみては。

私がボストンへ来てすぐに観た、この作品も展示されるようです。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 

桜は見れないけれど、少しずつ芽吹いてきた木々を見るのはなんだかうれしい。

蕾を見て微笑むなんて、なんだかおっさんみたいだけれど、

この長い冬ももう終わりだと思うと、自然と顔が緩んでしまう。

家からバス停までの間に通る道すがら、

春が訪れてきているのを感じる。

とてもとても地味な最近の微笑みスポットです。

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2009年4月 6日 (月)

別れと再生。

風が少し強いけれど、暖かい。春が来た気がする。

また、ジャマイカ・ポンドのまわりを毎朝歩き始めた。

最近は朝霧のかかる日が多く、その景色は幻想的で、だんだんと霧が薄れるのを感じながら黙々と歩いていると、体も気持ちも浄化されるような気分になる。

 

一時期とてもお世話になった人が亡くなった。

ジャマイカ・ポンドの朝霧の中を私は歩きはじめた。

この状況は、私に『ムーンライト・シャドウ』を思い起こさせた。

吉本ばななさんが22歳の頃に書いた短編。

彼女の書く文章は女性的というか、なんだか綺麗で、繊細で、少し軽い文章のような先入観を持っていた私は、

この短編を読んで、生まれて初めて人の文章で泣いた。

22歳という若さで書いた文章は荒削りだけれど、真っ直ぐに響き、

大学一年生だった私は、何度も何度も読み返し、その度に最後のページは涙でぼやけてしまうのに、読み終わった後にはいつも前向きな気持ちになっていた。

これは大切な人を失くした喪失感、孤独、そしてそこからの再生の話。

恋人を亡くした主人公が、朝一番の光を待つまでの長い孤独の時間を埋めるため明け方のジョギングをはじめ、そこで不思議な体験をする・・・という話。

恋人や家族、親友、大切な人々を失くしてしまう話はそこらじゅうにあるけれど、私にとってこの小説ほど、その時の気持ちを透明で率直な文章で表したものに出会ったことがない。

死というのは、常にそこにあるもので、自分にとって大切な人達だからといって、そのできごとを避けたり、遅らせたりすることはできない。

平等にやってきてしまう。

突然にやってきてしまうこともある。

失ってしまって、後になって大声で言いたくなる、戻ってきて欲しいと。

当然な存在が、失ってしまってから、特別な存在だったと再確認する。

こんなことならもっと優しくできればよかったと。

だけど、失ってしまった現実を前にして、いつまでもそこにとどまってはいられないから

止めることのできない時間の流れに従って、みんな刻々と足を進めていく。

おなかも減れば、眠くもなるし、ときには大笑いをすることだってある。

失ってしまった物事や人々は私達の記憶の中に存在するから、決して本当に失くしてしまったわけじゃない。

『ムーンライト・シャドウ』の主人公がいう。

「大丈夫、大丈夫、いつかはここを抜ける日がやってくる。」

「私は幸せになりたい。長い間、川底をさらいつづける苦労よりも、手にしたひとにぎりの砂金に心うばわれる。そして私の愛する人たちがすべて今より幸せになるといいと思う。」

私のお世話になった人は、

お酒がとても好きで、酔うと話がとても長く、言うことやること豪快で

そして家族から愛された幸せな人だったと思う。

もう何年も顔をあわせることはなかったけれど

あの頃の元気な姿、そのままに、私の記憶にきっとずっと残るんだろう。

 

そして今朝、

その息子からの電話。

そろそろ落ち着けやら、子供はかわいいやら、親を大切にしろやら。

分かってます、そんなこと。

なんだか私がどうしようもない子みたいじゃない。

親子そろって酒を飲むと話が長い。

 

失う辛さに臆病になっていると、

それ以上の素敵な出会いを見逃してしまうかもしれない。

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