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2009年2月25日 (水)

そこに愛情があるからこそ。

ここ最近の、この感情はなんだろうと考えていて、それが

『虚しい』

ということなんじゃないかと気づいて、一人納得してしまった。

2月ももうすぐ終わり。

毎日は、すんなりと過ぎていっているように思える。

だけど、このボストンでの生活の全てが、自分の将来に繋がっていないような気になることがよくあった。

仕事はビザが切れればそれまで、人間関係もきっと疎遠になっていく、北米での自分の生活には終わりが来て、また日本で全て新しく始めなければいけないんだなぁと、ふと思うとき、

ここでの全ての物事に対して、『虚しい』という感情を持ってしまう。

頑張っても、好きになっても、意味がないんじゃないのか、とか。

自分がただの1本の糸なら、生きていく間のいろんな事柄や人々というビーズを通しながら一つの輪を切れることなく作っていきたいけど、

今の私は小さな輪をいくつも作って、結局はばらばらなまま、完成もしないまま放置しているんじゃないかと。

この感情に気づいてしばし呆然としたものの、

気づけたことで少し楽にもなって、

1週間も経ってみれば、また前向きになっている自分がここにいたりする。

生活していく中で、開き直った付き合いなんてできないので。

自分のいる環境や、仕事や、人々に愛着が湧いてくるのは当然のことで、

そういったものを失うことを考えたとき、感情的になってる自分を虚しく思うことは当たり前だったりするんだ。

そこに愛情があるから、虚しさを感じたり、余計に寂しさを感じたりすると思う。

  

先週末、友人のバースデーパーティーで、ほろ酔いのまま話し込んでたら、

『SEASONS OF LOVE』が流れていて切なくなった。

日本の大好きな友人から知った私の大好きな曲、ブロードウェーで親友と初めて観たミュージカルの曲。

別にたいしたことじゃないけど、

ふと思う。

例えば

こんなふうに繋がっている。

 

二日酔いの近所の友人と一緒にブランチを食べる。

どうでもいい話をしながら、コーヒーを何杯も飲みながら、こんな日も幸せだねと言い合う。

ほら、

こんなことを日本の親友ともよくしていた。

例えば

こんなふうに繋がっている。

完全に切れてしまうことなんてない。

どこかできちんと1つの輪ができている。

場所や人が違っても、自分の感情さえ変わらなかったらどこまでも繋がっていく。

自分次第でずっと大切なものたちとは繋がっていられる。

そう思うことにした。

 

相変わらず自分の感覚にいちいち立ち止まって考えてしまうので、めんどくさい毎日だ。

暇なのか?

もう少し暖かくなったら走ろうかな。

 

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes

Five hundred twenty-five thousand moments so dear

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes

How do you measure, measure a year?

In daylights, in sunsets

In midnights, in cups of coffee

In inches, in miles, in laugher, in strife

In five hundred twenty-five thousand six hundred minutes

How do you measure, a year in life?

How about love?

How about love?

Measure in love

Seasons of love

 

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes

Five hundred twenty-five thousand journeys to plan

Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes

How do you measure the life of a woman or man

Remember the love

Measure in love

Seasons of love

Seasons of love

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コメント

私は死ぬ前の人と接することが多くて、その人たちと表面的な付き合いで済ませてしまおうと思えば簡単にできるし、その方が亡くなった時に悲しみは少ないと思うんだよね。でもそれだと後に何も残らない。。短い間でも深く関わればそれだけ自分の記憶にも深く刻まれるし、事あるごとにその人を思い出して勇気付けられたりする。その人はいなくてもその人との思い出は確実に心に残るからね。死を前にした人達との関わりとは違うと思うけど、今のお姉ちゃんのしていることは絶対後に繋がっていくものだと思うよ。

投稿: 咲良 | 2009年2月25日 (水) 22時31分

”さよならだけが人生だ”と言われますが、同じ以上に”こんにちは”があるのです。亡くなった人には会うことはできないけど、それでも心の中で行き続けている人達もいるわけで。とにかく人間は群れる動物である以上、いろいろな場所で沢山の人達と出会い、良い思い出や悪い思い出を作りながら生きて行くのです。人間70年として、より色々なことを経験した方が味わい深い老後を送れるのではないかと思う次第です。ということで齢49にして転職しようかと考えています。

投稿: Charlie | 2009年3月 4日 (水) 09時00分

ありがと、その通りね。
いちいちいろんな出会いや別れに敏感になってられないやなんて思うこともあるけど、後になってみれば随分助けられてる人たちや経験や知識や思い出ってあるよね。
そういうのはあればあるほどいいね。

投稿: →咲良 | 2009年3月 4日 (水) 10時55分

本気ですか!?起業とかするんですか?
でもそれこそこれまで培ってきた経験やら人脈やら知識やらが必要になってくるんでしょうね。
今のお仕事でもほんとに価値ある出会いがたくさんあるんじゃないですか?でも挑戦し続けることは、人としてかっこいいです。

投稿: →Charlie | 2009年3月 4日 (水) 10時58分

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