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2008年3月18日 (火)

いい感じ。

狂犬ルームメイトから、

「カオリの顔いいね。眉間と、鼻の下の部分が特に。」と言われ、

微妙な気持ちになっております、私です。

どんだけマニアなんでしょう。なかなか褒められることのない部位です。

 

さて、ここ2,3日は、本当にからっと乾燥した空気に青空が続いています。

吸い込む空気はまだぴりっと冷たくて、呼吸をするたびに鼻腔を通して身体の中心が引き締まる、そんな感じ。

いい感じです。

この2週間は、スタッフが足りないことも手伝って、仕事があり得ないほど忙しく、ずっと朝8時半から夜10時前後まで仕事の日々。仕事の記憶しかありません。

だから、この週末、久々に歩きながら吸い込んだ空気の気持ちよさに、軽く眩暈を感じた程です。

 

今日、このトロントへ来て、日本人の中では1番近い存在だった友人が帰国しました。

空港まで見送りに行き、先ほど帰宅したばかり。

もう日本へ向けて飛び立ったんだろうな。

彼女とはほぼ同日にトロントに降り立ち、それ以来の付き合い。

5歳年下ということもあって、妹のような存在です。

彼女が、ここで出会った人たちや物事に関して本当に感謝をしていて、

その素直な感謝の言葉を聞きながら、

大人になったなぁ、、きれいになったなぁ、、

・・・なんて、おっさんのように思っていたわけです。

妹のような彼女に対して、心配したり、世話を焼きたくなったり、自分が話を聞いてあげなきゃなんて、大人ぶったことを思ったりしたけれど、

彼女の必死さや、素直さや、真っ直ぐさや、一途さや、一つ一つの小さな出来事に対して感謝をする気持ちは、私が忘れてしまっていたり、私に足りないものだったりするわけで。

そんなことを気づかせてくれた彼女に感謝しつつ、今とてもいとおしく思うのです。

 

彼女が去ったということへの虚しさというか寂しさにあわせて、自分がここに来てちょうど1年が経とうとしていることを実感。

この1年は、

長かった。

6,7年前に学生として来たときとはまた違う意味での葛藤や、プレッシャーや、不安や、なんやらで、自分を見失いがちになることもしばしば。

自分の居場所がどこで、どこかに行きたいのか、とどまりたいのか分からずの毎日でした。

特に深く考えなくたって、日々は平等に過ぎていくのでそれでもいいんだけれど。

それじゃもったいない気もするし。

だから私は、時に深く考えすぎて、憂鬱になってしまうこともしばしば。

基本、どうにかなるでしょう精神なので、たまに深く考えてしまうと、なかなか立ち上がれない。。性に合ってないのでしょう。

日本を離れて1年。

離れてみて、やっと分かった失ったものの大切さ。

なんてベタな経験もしたけれど。

この長い1年に、出会って、別れて、初めて、終わって、笑って、泣いたことに

無駄はないです。

1年も同じ場所にいると、やっぱりだれてきます。この生活が普通になります。

普通が悪いわけじゃない。とても素敵なことです。

私は、普通に幸せな生活をしていたいだけです。

だけど、普通に普通の生活に感謝する気持ちや、普通になにかを目指す気持ちを忘れかけてました。

だから、今日、この日に空港へ行ってよかったと、普通な私は思います。

妹よ、日本で会おうね。

 

うーん、青空がまぶしいです。

いい感じです。

カナダ生活2年目突入します。

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2008年3月13日 (木)

チャーミングな場所。

もうそろそろトロントでの生活が1年になります。

というわけで、今回ここへ来てから旅した場所をちょくちょく紹介していきたいと思います。

なんだか旅先の写真を全くアップしていなかった気がするので・・。

 

まずは、9月前半に訪れたニューヨークです。

知り合いのカナダ人にニューヨークへ行くことを伝えたら、

「いままでいろんな場所へ行ったけれど、あそこほどチャーミングな所はないよ」

と言われました。

チャーミングって、街にも使う形容詞なんだな、というようなことを考えつつ。

日本から来た親友とともに、2泊3日のニューヨーク旅行へ。

フライト離陸直前になって便が変わったり、到着空港がラガーディアからJFK空港へ変更となったり、なんだか出だしからばたばただったけれど、なんとか到着し、マンハッタンへ向かう地下鉄へ乗車。

その車内へラジカセ片手に乗り込んできた黒人の若者達が音楽をかけはじめ、突然ブレイクダンス。座席やポールを使ってのパフォーマンス。

「よかったでしょ?いいもん見たよね?」と言いながら、乗客にチップをもらっている彼らを見て、ニューヨークへ来たんだと、なんだか実感してみたり。

 

宿へ到着後は、無難に観光主要箇所めぐりです。

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誰もが知っているセントラル・パーク。

平日なのにたくさんの人たちがジョギング。

「セントラル・パークを毎日走るなんて、かっこよくない?ちょっとニューヨーカーきどりで走ってみようよ」

なんて話しつつ、まったくニューヨーカーっぽくない女子2人。

 

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大晦日のカウントダウンで有名なタイムズ・スクエア周辺。

観光客、ニューヨーカー入り乱れ常に人の流れが絶えない。

大都会さを実感。

そしてニューヨーク名物、イエローキャブもひっきりなしに走っている。

 

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メトロポリタン美術館とともに必ず訪れたかった近代美術館(MOMA)。

大好きなクリムト、シャガール以外にも、ピカソ、モネ、ウォーホールなどの名作がいたるところに。

ヨーロッパへ行った時もそうだったけれど、学生の頃から、美術の授業でドキドキしながら見ていた絵を目の前にすると、想いつづけていた人にやっと会えたような気分になる(もちろんそれは片思いだけれど・・・)。

ウィーンで見たクリムトの「ベートーベン・フリーズ」や、ハーグで見たフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」も記憶に残っている。基本的に人物画が好きなのだ。

 

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ニューヨークへ来たらミュージカルでしょう!

こちらは以前から見てみたかった「RENT」。

登場人物が貧困、同性愛、ドラッグ中毒、HIVといったそれぞれの問題や個性を抱えながらも日々の生活の中に喜びを見出していく、、、というストーリー。

Season of Loveをキャスト全員のアカペラで聞いたときは、分かっていたけれど鳥肌がたった。

 

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日本の友人にすすめられて行ったクラブ、CIELO。

きれいで、客層も素敵で、お洒落で少し大人な感じの場所。

音楽も私好みでした。

いろんな人たちが、いろんなノリで、踊ったり、飲んだり、話したり。

ここはまた訪れてみたい。

 

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9.11にニューヨークを訪れたのは意味のあることだと思う。

これは、かつてのワールドトレードセンター内にあったオブジェの一部。

小雨の中、この痛々しい物体を見るのは胸にずっしり堪えるものがある。

自然とこみ上げてくる涙に自分でも驚いた。

 

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グランド・ゼロには、こんな建物が建つらしい。

テロに屈しないという気持ちの表現がこの建物なんだろうか。

もっと高く、もっと強く。

アメリカらしいと言えばアメリカらしい。

私には、もっと違った形でのテロ撲滅の方法がある気がしてならないけど。

 

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ブルックリン橋から見るマンハッタンの夕焼け。

親友とひたすら後ろを振り返り、振り返りしつつ歩いた。

一瞬一瞬で色を変えていく夕日に歓喜しながら。

かなり長い距離を歩いたのに、不思議とあの時は疲れをあまり感じなかったような。

 

ニューヨークはチャーミングな所。

友人の言葉はあながち間違ってはいないのかも。

様々な問題を抱えながらもエネルギー溢れるこの大都会の街や、人々を見て、

ふと微笑んでしまいたくなる瞬間があった。

そして、短い3日間の滞在だったけれど、存分にはしゃいで、楽しんで、

そして少しせつなくなって考えさせられた私達もまた、チャーミングだったと思う。

ニューヨークはそこを訪れた人もチャーミングに変えてしまうのだ、きっと。

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2008年3月 4日 (火)

支えあっていくこと。

まだ眠れそうにないので、こうしてブログを書くことにします。

今日、仕事中に2つのできごとがありました。

 

先週くらいから日本行きの航空券や、日本国内のJRパスの問い合わせを受けて、何度も電話で話していたお客さんが、来店しました。

彼女は75歳のおばあちゃんです。81歳になる旦那さんと一緒にいらっしゃいました。

eチケットはメールでも送れるのに、私に会いたいからといって、わざわざ足を運んでくれたのです。

彼女の実家が私の実家と近いこともあって、親近感を感じられたのかもしれません。

彼女は私に挨拶をするなり、すぐに

「これ、昨日の晩御飯で作った残りやけど、よかったら食べて。」

といって、巻き寿司を私に渡しました。

彼女は日本の生まれですが、若いときに今の旦那さんと知り合い、

戦前、戦後、日本各地を転々とし、最終的に日英通訳をしていた日本人の旦那さんとともにこのカナダへ来たとのことです。

カナダへ移り住んで50年ほどとのこと。

ときどき、京都弁やら(京都の学校へ通っていたので)、岐阜弁やら、英語が入り混じった不思議な話しかたをするおばあちゃんです。

「ミー(me)はね、今回一人で日本へ帰らないけんのよ。心配やけど、この人は今回は一緒にこれへんからね。私、この人おらんとなんもできんのよ。この人を頼って、ここまで来てしまったからね。この人が先に逝ってしまったら、あたしどうやって生きていったらいいかわからんのよ、、ね、ダーリン。どんどん歳とっていくうちにあたしもますますチキン(弱虫)になっていくしねぇ。日本に帰って住みたいとも思うけど、なにもかも高くて、よぅ生活できんのよ。」

「あんたのお母さんにもミーから電話してあげるから。テレフォンナンバー教えてくれはる?あんたに良くしてもらったこと、ママに報告せなかんでしょ。」

「保険にも入っていかないかんな。いつもどこの保険に入ってたかな、ね、ダーリン、どこやっけ?」

・・・なんてことを、にこにこしながら話しつづけるのです。

日本で、旦那さんのことを75歳になってダーリンと呼ぶ人はまずいないでしょう・・。

だけど、彼女の優しい顔と、ダーリン(おじいちゃん)の静かだけれど、81歳にして奥さんを守っていこうっていう強さみたいなものが伝わってきて、胸がツーンとなったのです。

そして、そんな話を聞きながら、私は不覚にも

・・・軽く泣きました。

どんだけ涙腺ゆるゆるなんだ。

なんだか、2人が素敵で、旦那さんを頼っているおばあちゃんがかわいくて、

年老いていくお互いを頑張って支えあってるような姿が美しいけど、でも心細い感じがして。

おばあちゃんは私にとって赤の他人なのに、自分のおばあちゃんのような気持ちになってしまったからかもしれません。

彼女のフライトが無事に飛んで、彼女の日本での滞在が素晴らしいものであるように。

と、心から願った瞬間でした。

 

もう一つの出来事。

先週受けた予約です。

日本への航空券。8歳の子供1人分だけです。

たった一人で飛行機に乗っていくのです。

少し疑問でしたが、それは今日判明しました。

彼女の母親は家庭内暴力をふるう父親から娘だけでも救おうと、

夫の目を盗んで、娘の航空券のみ予約したようです。

しかし、その行為が今日、父親に見つかったのです。

怒った父親は母親をぼこぼこに殴り、

それでも母親は必死に逃げて、今はシェルターにいるとのこと。

彼女の娘は一人飛行機の中です。

シェルターにいる母親、一人飛行機の中にいる幼い女の子。

その状況を想像するだけで、怒りがこみ上げてきて、胸が痛くて、でも何もできるはずがないことがもどかしくて、

ただ無事を祈るだけです。

なぜ、家族に暴力をふるうのか。

どんな理由があるにせよ、そんな行為が許されるはずがない。最低です。

私には全く理解ができませんが、ドメスティック・バイオレンスはどの国へ行っても

悲しいかな存在するもののようです。弱いものを力で押さえつけて何が得なんだろう。

家族にはいろんな形態があって、それは、ぱっと見では分からないことのほうが多いのかもしれない。

はたから見たらシアワセそうな家庭でも、実は大きな問題を抱えていたり、崩壊寸前だったりするのかもしれない。

 

今日は気分が大きく揺れてしまうことが多かったので、まだ落ち着いてベッドに入れる気がしません。

だからひとまずこうやって文章に残しておこうと思います。

私の今の感情をとどめておかなければいけないだろうから。

人から受けるちょっとした優しさに感動したり、同情してせつなくなったり、人が受けた痛みで怒ったり、そういう感情を忘れてはいけないと思う。

 

家族なんて、

放置しておけば、以外に簡単に壊れてしまうものかもしれない。

だけど一方で、絶対的に無償に信頼し合える何かがあるでしょう。

家族なんだから。

甘えるとことはどんどん甘えて、頼って、支えあっていけばいいじゃんと思う。

なんだか家族にむしょうに会いたくなってきました。

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