フライデーナイト
2年前につけた梅酒をちびちび飲みながらのフライデーナイト。
2年前につけた梅酒をちびちび飲みながらのフライデーナイト。
ここ数日気温がまた下がって肌寒い。
随分更新してなかったけど、
辞めるも始めるも元から自分次第なので、
自分ペースでまたふらりとブログを始めてみようかと。
なんとなく思ったり感じたりしたこと、日々繰り返しているようなできごと。
それをわざわざ文章に残したいと思うのは、やっぱり自分の中にある「知ってもらいたい」っていう気持ちがそうさせるのだと思う。
前回の投稿を見ると、なんと2年以上前!仕事で短いメールを打つこと、あとは毎日つけてる短い日記でしか文章を書いていなかったのか・・・。なんというブランク。長い文章を書ける気がしない。
ブログを更新していなかった2年は何をしていたのか。たいしたニュースはない。息子は3歳になり、新居へ引っ越しをし、育児休暇から復帰した職場ではちょうど2年が経った。ほらね、1文で終了してしまった。
私は気づくと30代も後半へ突入し、昨日息子が携帯で撮った私のアップ写真では目尻の皺が目立っていた。速攻削除したけれど、これが現実。
この年齢。随分大人だなぁ。大人というか、少女だった頃の私が想像出来る未来の自分はせいぜい20代までで、30代後半の自分がどうなっているかなんて考えたことはなかった。
このブログ更新をしていなかった期間、何をしていたのか。仕事、家事、育児。それがほぼ1日の時間の9割を占める。残り1割ぐらいだろうか、自分の自由な時間。自由時間と言ったって、通勤電車の中で読書するような、息子を保育園に迎えに行く車中で好きな音楽を聞くような、息子が眠り、夫が帰宅するまでの短時間に缶ビールを開けながらネットサーフィンするような。そんなものだ。
今だってその生活に変化はない。今日は息子が昼寝をせず遊びまわっていたので早く眠り、通常1割しかない自分の時間が2割ほどに増えただけ。ただそれがものすごく特別に感じる。
今年が始まってすでに3ヶ月以上が経過してしまった。例年正月にその年の目標を立てているのだが、ざっくり言うと、今年の目標は「スワン」。あんなに優雅に泳いでいる白鳥は、水面下では必死に足を動かしている。泳ぎ続けている。私だって毎日とにかく動いている。楽しいことも、しんどいことも、いらつくことも、泣きだしそうなこともある。ただ、そんなことひっくるめて、優雅〜な感じ。目尻の皺なんて気にしない(いや、気にするけど、それを受け入れるのだ)。
逆に言えば、クールに冷静に見えても、実は熱いのよ、必死で頑張っているのよ。という感じ。
とりあえず、週一で近所のスイミングプールで泳ぎ始めた。ただの平泳ぎだけれど、気分はスワン。
こんな感じでまたブログ再開しようかな。くだらないことも書いてしまおう。くだらないの中に日々の笑いがあるものだから。
詩人、吉野弘さんが亡くなりましたね。
多感な時期に読んだりした詩のいくつかを
改めて読んでみると、いまだからもっと共感できる言葉、
考えさせられる表現があります。
「菜々子に」もその一つ。
母親になってまだ浅い自分ながら、菜々子を息子の名前にかえて
共感できると思いました。
今まさに風邪をひいて辛そうな息子を寝させつけたところ。
寝顔を見ていると、この「菜々子に」が浮かんできました。
赤い林檎の頬をして
眠っている菜々子。
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
菜々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた。
お父さんにもちょっと酸っぱい思いが増えた。
唐突だが
菜々子
お父さんはお前に多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待にこたえようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか。
お父さんははっきり
知ってしまったから。
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき
他人があり
世界がある。
お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた。
苦労は
いまは
お前にあげられない。
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
すっかり初冬の雰囲気な毎日。
昔はもっと春夏秋冬があった気がするけど、
なんだかここ最近は、夏冬が繰り返されてるだけなように思うのは
単に私の季節を感じる感性が鈍くなっているからだろうか。
まぁ、でもこのぴりっとする肌寒さ、大好きなんですけど。
なんだか暖かくぽかぽかぼんやりする気候より、肌のきめまで澄んだ透明の冷たさが入る、
引き締まる感じが好きなのです。
子育ての合間、世の子育て母さんは何をしてるんだろうか。
もちろん家事は別として。
私は専ら読書をしている。育児、家事の合間をぬってなので、少しずつしか
読み進められないけど、むしろそれを楽しみながら毎日ちびちびと頁をめくっている。
サスペンス、エッセイ、長編・短編小説もろもろ。
この間、吉本ばななの「体は全部知っている」を読んだ。
彼女の短編集はあまり読んだことがなかったけど、まさに、子育ての合間に、
気負うことなく読めた本だった。といっても別につまらないと否定するわけではなく、
むしろ肩の力を抜いて共感できるような。
タイトルどおり、からだはときに心よりもさきに、いろんなことを気づいて、感じて、
自分自身に教えてくれる。思うより先にもうからだは
分かっているのだ。
そして、悲しいかなそれは、きっと若ければ若いほど鋭敏なんじゃないだろうか。
年を重ねるに従って否が応でも感受性をすり減らし、
体が感じていることに鈍くなったり、無視してみたり。
「おやじの味」という短編がおもしろかった。
、、、木がびしょびしょに濡れていくのを、じっと見つめていた。それはまるで私達人間が息を
するように、葉は濡れるのを喜んでいるように見えた。つるつる光る表面に透明な
水滴がどんどん流れていく。官能的なながめだった。
私はただ真剣にぼんやりと、雨の日が過ぎていくのを見ていた。
しめった土の匂いや、緑の青臭い匂い。自分にも匂いがあるのだと思った。
発散しているのだ。
、、、久しぶりに食べたオムレツは死ぬほど懐かしい味がして、わたしは、久しぶりに、
生きていることに意味があるような気がして、ビールを飲み過ぎてしまった。
生きていることは本当に意味がたくさんあって、星の数ほど、もう覚えきれないほどの
美しいシーンが私の魂を埋め尽くしているのだが、生きていることに意味を持たせようとするなんて、
そんな貧しくてみにくいことは、もう一生よそう、と思った。
例えば、ゼロ歳の息子が今の生活を記憶に残してるなんてことはないんだろうけど、
体の何処かに、無意識の中にも、自分がどれだけの人に愛されて育ってきたのかを染み込ませておいてくれてたらと思う。
全く本筋とは関係ないが、この間支援センターで息子を遊ばせていた際、
あるお母さんから話しかけられ、「実は以前からお見かけしてました!○○社宅の
1階に住まれてますよね?私、斜め向かいの3階に住んでいるんですが、
娘が同じぐらいの歳なので、ベランダで息子さんをあやされているのをみて
私も頑張ろうと、励まされていました!」
私、ぐずる息子をすっぴん、フリース姿であやしていたんだろうなぁ。。
あぁ、どこで誰に見られてるかわからない。。いつもクールで素敵な母さんで
いたいものです。まぁ、なんにせよ、勝手に誰かを励ましていたのならそれはよかった。
さぁ、年末まであと少し!なんて、なんて時が過ぎるのは早いんだろう!
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